平田貫一
平田 貫一(ひらた かんいち、1883年(明治16年)2月3日[1] – 1971年(昭和46年))は、日本の内務官僚、神職。皇學館大学初代学長。
経歴
鹿児島県薩摩郡宮之城町(さつま町)出身[2]。第七高等学校を経て、1909年(明治42年)、東京帝國大學法科大学政治学科を卒業し、高等文官試験に合格した[2]。農商務省に入り、特許局審査官補、鉱山監督署事務官、鉱務官、札幌鉱務署鉱政課長を務めた[2]。その後、内務省に転じ、社会局書記官、兵庫県産業部長、岐阜県内務部長、栃木県内務部長、福岡県内務部長を歴任した[3]。
1930年(昭和5年)、神宮皇學館長に就任[3]。その後、近江神宮宮司を務めた[4]。
戦後は2度にわたり神社本庁事務総長に就き、1962年(昭和37年)に皇學館大學が再興すると初代学長を務めた[5]。
脚注
- ^ 札幌之人 1915, p. 315.
- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ a b 人事興信録 1931.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 大平和典. “皇學館学園報第29号 皇學館人物列伝10” (PDF). 学校法人皇學館. 2016年10月15日閲覧。
参考文献
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 鈴木源十郎編『札幌之人』1915年。