平帝 (漢)
平帝 劉衎 | |
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前漢 | |
13皇帝 | |
王朝 | 前漢 |
在位期間 | 前1年 - 5年 |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 劉衎 |
諡号 | 孝平皇帝 |
廟号 | 元宗 |
生年 | 前9年 |
没年 | 5年 |
父 | 中山孝王劉興 |
母 | 衛姫 |
后妃 | 王皇后(安漢公王莽の末娘) |
陵墓 | 康陵 |
年号 | 元始(前1年 - 5年) |
略伝
父・中山孝王劉興(元帝の末子)の薨去にともない2歳で中山王を継承した。前1年、哀帝崩御にともない、皇帝の璽綬を董賢から奪った王莽らによって9歳で皇帝に即位した。即位当初から王莽ら王氏一族が権力を握った。母衛姫や衛氏一族は長安に入れなかった。王莽の長子・王宇や彼の妻の兄呂寛らは、このことが後々禍根となることを恐れ、衛氏が長安に入れるように働きかけた。そのことが王莽の怒りを買い、平帝の叔父に当たる衛宝、衛玄兄弟ら衛氏を(衛姫を除いて)ことごとく誅殺し、王宇や呂寛も衛氏と共に殺した。
元始4年に皇后王氏(王莽の娘)が立てられる。元始5年(紀元5年12月)、平帝は未央宮で14歳にして死亡した。『漢書』平帝紀注や、反乱者翟義の檄文によると王莽が毒殺したのだという。