平和の村

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平和の村(へいわのむら、Hospice Shanti Nagar または City of Peace)は、1968年マザー・テレサインド西ベンガル州に、ハンセン病患者のためのコミューンとして設立した施設。1964年、インド滞在を終えた教皇パウロ6世は滞在中に儀礼用車両として使用していたリンカーン・コンチネンタルをマザー・テレサに寄贈した。そこで、これを賞品とする宝くじを販売することで建設費用を賄った[1] [2]

関連事項[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Witness to sanctity” (英語). Hawaii Catholic Herald (2016年8月24日). 2022年10月25日閲覧。
  2. ^ 中井俊已 (2014). “「平和の村」のスタート”. マザー・テレサ 愛の花束: 身近な小さなことに誠実に、親切に. PHP研究所. https://books.google.co.jp/books?id=b79UBAAAQBAJ&pg=PA17-IA1. "村のメインストリートは、資金源となった「人民の車」の贈り主にちなんで「パウロ六世通り」と名づけられました"