市来吉至

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yaruohrhm (会話 | 投稿記録) による 2022年1月19日 (水) 06:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献: cat調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

市来 吉至(いちき よしじ、1900年明治33年)4月21日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚陸軍司政長官

経歴

市来半次郎の二男として[2]鹿児島県姶良郡に生まれる[1]1925年(大正14年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、台湾銀行に入行する[1]1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科に合格[1]。以後、台湾総督府交通局書記、地方理事官・高雄州岡山郡守、高雄台中各州内務部勧業課長、総督府事務官・鉄道部監督課長、鉄道部経理課長兼庶務課長兼交通局総務課長、鉄道部勤務などを経て[2]1942年(昭和17年)6月、香港占領地総督部民事部長に就任した[1]。その後、1943年(昭和18年)3月、陸軍司政長官に任じた[2]。高雄港湾局長を経て、1945年(昭和20年)退官した[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 興南新聞社 1943, 30頁.
  2. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1943, 海外3頁.
  3. ^ 秦 1981, 556頁.
  4. ^ 橋本 1924, 77頁.

参考文献