島津久照

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島津 久照(しまづ ひさてる、安永7年10月6日1778年11月24日) - 文化13年5月4日1816年5月30日))は、江戸時代後期の薩摩藩士、加治木島津家第7代当主。

父は島津久徴。母は島津久芳の娘。養子に島津久徳。幼名は善次郎、通称は又八郎、兵庫。

略歴

安永7年(1778年)10月6日、島津久徴の子として生まれる。寛政12年(1800年)、父の隠居により家督相続し、加治木領主となる。

文化5年(1808年)、近思録派により領内の仕置が不届きとの理由で、父久徴共々処分を受けた。文化13年(1816年)5月4日没。享年39。家督は今和泉島津忠厚の嫡子久徳が相続した。

参考文献

  • 「加治木郷土史料」