岡野俊昭
岡野 俊昭(おかの としあき、1946年[1](昭和21年)3月21日[2] - )は、日本の政治家。教育者。元千葉県銚子市長(1期)。
略歴
千葉県銚子市生まれ[1]。日本体育大学体育学部卒業[1]。銚子市内の中学校の教諭、教頭、校長を務め、校長時代は挨拶、清掃、ランニングなどを生徒に行い、学校立て直しの成果を挙げた[1]。日本体操協会強化コーチ、スペイン・バルセロナ日本人学校校長、北米・欧州地区日本人学校長研究協議会会長を歴任した。
2006年、銚子市長選挙に立候補して、現職の野平匡邦を破って当選した[3]。選挙の公約に「市立総合病院の存続」を挙げながら休止したため、市民から解職請求運動が起こり、2009年に住民投票の結果、解職が成立し、市長を失職した。解職後の市長選挙には前市長の野平匡邦ら6人が立候補する選挙戦となったが、前市長の野平に大差で敗れた[4]。
2010年の参議院議員選挙に日本創新党から比例区で立候補したが、落選した[5]。
現在は新しい歴史教科書をつくる会の副会長を務める[1]。
脚注
- ^ a b c d e 役員構成|新しい歴史教科書をつくる会
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、125頁。
- ^ 銚子市長選挙-2006年07年23日投票|千葉県銚子市|選挙ドットコム
- ^ 銚子市長選挙-2009年05年17日投票|千葉県銚子市|選挙ドットコム
- ^ 「朝日新聞」2010年7月12日夕刊5面。