尹雄烈
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尹雄烈 | |
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別技軍左副領官 | |
尹雄烈(1880年頃) | |
本貫氏派 | 海平尹氏 |
没死地 | 日本統治下朝鮮、京畿道京城府 |
埋葬地 |
忠清南道牙山郡温陽邑 →京畿道平沢郡彭城面客舍里芙蓉山 →忠清南道牙山郡屯浦面 |
配偶者 |
全州李氏 金貞順 |
子女 | 尹慶姫、尹致昊、尹致旺、尹致昌 |
尹 雄烈(ユン・ウンリョル、いん ゆうれつ、1840年5月18日 - 1911年9月22日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国にかけての軍人・政治家。
親族
[編集]尹斗寿の子孫である。尹得実は祖父、尹取東は父[2]、尹英烈は弟、尹致昊、尹致旺、尹致昌は息子、尹致旿、尹致昭、尹致晟、尹致昞、尹致明、尹致暎は甥、尹永善、尹然善は孫、張錫潤は孫娘婿である[2][3][4]。
脚注
[編集]- ^ “`친일 반민족행위자' 106인 명단” (朝鮮語). 한경닷컴 (2006年12月6日). 2022年7月25日閲覧。
- ^ a b “윤치왕(尹致旺)”. 한국역대인물 종합정보 시스템 - 한국학중앙연구원. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “대통령·장관·서울대총장…대이어 ‘지배 엘리트’” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2009年8月14日). 2023年10月28日閲覧。
- ^ “'3·1운동도 비난'…문창극이 옹호한 '친일파' 윤치호”. 노컷뉴스 (2014年6月16日). 2023年10月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 梁賢恵『尹致昊と金教臣 その親日と抗日の論理―近代朝鮮における民族的アイデンティティとキリスト教』新教出版社、1996年。ISBN 4-400-42627-0。