小林清貞

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小林 清貞(こばやし きよさだ、? - 1968年4月21日)は、日本の学者弁護士。元東京外国語学校教授、正四位勲四等・独法学者。旧姓加藤。

名古屋市出身。

経歴

  • 愛知県立第一中学校卒
  • 第八高校卒
  • 1917年(大正6年)3月 東京帝国大学独法卒 朝鮮総督府検事補
  • 1922年(大正11年)
    • 2月 朝鮮総督府検事退官 従四位勲四等
    • 3月 名古屋地方検事局弁護士名簿登録
  • 東京外国語学校教授
  • 1923年(大正12年)9月 名古屋三大商家、桑名屋小林初子と結婚、小林家入婿
  • 1925年(大正14年)6月1日から1927年(昭和2年)12月15日 独米へ留学
  •  1932(昭和7年)東京外国語学校生徒課長小林清貞教授排斥ストライキ
  • 1943年(昭和18年)
    • 東京外国語学校退官 注
    • 鹿島建設重役・人事部長
  • 1954年(昭和29年)7月 弁護士登録 東京弁護士会
  • 1967年(昭和42年) 埼玉県北本市に移住
  • 1968年(昭和43年)4月21日 同地にて死亡[1]

著書

  • 『最新法制概論.[改訂版]』 東京 : 文献書院、1926
  • 『新編 女子法制経済教科書』 文献書院、1928
  • 講演「独逸事情」[2]
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 法制経済に関する講演集

脚注

  1. ^ 朝日新聞 昭和43年4月22日付 訃報欄
  2. ^ 小川芳男『私はこうして英語を学んだ』TBSブリタニカ、1927年、77,79頁。 

参考文献