小林宏之 (パイロット)
小林宏之(こばやし ひろゆき、1946年10月4日 - )は 元日本航空パイロットで現在は航空評論家。「グレート・キャプテン」と呼ばれた。
経歴
愛知県新城市生まれ。愛知県立豊橋東高等学校を経て東京商船大学航海科を中退し、1968年に日本航空に入社。入社以来42年間、一度もスケジュールの変更なく飛び続ける。日本航空が運航した全ての国際路線と主な国内線に乗務。総飛行時間は地球800周に相当する18500時間。首相特別便機長、湾岸危機時の邦人救出機機長なども務めた。
2008年には「高度一万メートルからみた地球環境」というテーマで、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに出演。2010年3月退社時のラストフライトはマスコミの話題となり、新聞・テレビなどで特集が組まれる。日航退社後は、危機管理・リスクマネジメントの講師として活躍する傍ら、航空評論家としても活躍中。医療機関、原子力関係の各機関、様々な企業・団体で講演が依頼される。最近では、テレビ・ラジオなどの出演も多数。
略歴
主な社内略歴
- 飛行技術室長
- 運航安全推進部長
- 運航本部副本部長
- 首相特別便機長(竹下首相、海部首相、小泉首相)
- 湾岸危機時の邦人東南アジア人救出機長
主な社外略歴
- 宇宙開発事業団(現宇宙航空開発機構)危機管理嘱託委員
- 日本人宇宙飛行士安全検討チーム
- 原子力発電所運転責任者講習講師
- 慶應義塾大学大学院特別講師・中央大学客員講師
- 早稲田大学特別講師・その他の大学特別講師
- 日本航空機操縦士協会副会長
社外講師歴
- 医療(医科大学・病院)機関、原子力関係の各機関
- その他の企業・団体等で「危機管理」「リスクマネジメント」
「管理職セミナー」「プロファッショナル」等のテーマで講師を務める
所属学会等
著書
- 『機長の「集中術」』 阪急コミュニケーションズ
- 『機長の「健康術」』 阪急コミュニケーションズ
- 『JAL最後のサムライ機長-命を預かるグレートキャプテンのリーダー術』ポプラ社
- 『ザ・グレート・フライト~JALを飛んだ42年 太陽は西からも昇る』講談社
(日本図書館協会選定図書)
エピソード
東京商船大に入学したのは「ハワイに憧れ、船乗りになればハワイに行ける」と考えたからであった。しかし学生時代に虫歯の治療をしていた際「船乗りなら病気の治療は陸に戻らなければできない。パイロットならすぐ病院に行ける」と言われ、パイロットを目指すようになったと言う[1]。