宮田慶三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。He21 (会話 | 投稿記録) による 2021年10月25日 (月) 09:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

みやた けいざぶろう

宮田 慶三郎
生誕 1906年1月7日
日本の旗 日本北海道
死没 (1997-05-22) 1997年5月22日(91歳没)
職業 教育者、実業家、歯科医
テンプレートを表示

宮田 慶三郎(みやた けいざぶろう、1906年1月7日 - 1997年5月22日[1]は、日本の教育者実業者歯科医である。慶應義塾大学医学博士[2]

略歴

著書『一瞬と永遠――建学の精神の基礎にあるもの』[3]著者略歴より。

1906年1月7日、北海道に生まれる。1931年3月に大阪歯科医学専門学校(現・大阪歯科大学)を卒業し、同年12月に宮田歯科医院を開業。1939年2月に不二鋼材工業株式会社付属研究所研究員、1940年3月に同株式会社東京工場長に、1951年3月に日本放射線防御株式会社会長に就任。1960年6月に慶應義塾大学より医学博士授与。1970年5月に城西歯科大学(現・明海大学)を、1971年2月に岐阜歯科大学(現・朝日大学)を創立。1974年4月に学校法人大阪歯科大学の理事に、1979年4月に社団法人日本私立歯科大学協会の監事に就任。

著書

  • 『アパートのすべて』金剛出版、1964年
  • 『サラリーマン革命』金剛出版、1966年

関連項目

出典

  1. ^ 教育後援会だより「潮風」第8号”. 明海大学浦安キャンパス教育後援会. 2020年4月25日閲覧。
  2. ^ 『錐体外路系伝達物質に関する実験生理学的考察』により昭和35年6月28日授与(2021年10月25日確認)
  3. ^ 編集:宮田侑、協力:青木茂・宮田瑠美子、発行所:明海大学企画広報課・朝日大学企画広報室、1990年発行。国立国会図書館に所蔵されていないが、明海大学学術リポジトリより全文のpdfファイルをダウンロード可能