宮崎世民

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宮崎 世民(みやざき せいみん、1901年10月17日 - 1985年8月19日[1])は、熊本県出身の日本の政治家

来歴・人物

1924年、東京帝国大学法学部を卒業。宮崎民蔵の子。宮崎滔天の甥に当たる。幼少の頃は孫文とも接点があった。『土地農民にかえる』などを翻訳した。

日中友好運動に一貫して貢献し、日中友好協会結成に尽力。理事長などの要職を歴任した。

文化大革命を賛美し、日中友好協会(正統)に結集。一時期は日中友好協会(正統)の運営をめぐって黒田寿男と敵対関係になり、日中友好協会(正統)は日本共産党(左派)系(宮崎世民ら)と日本社会党系(黒田寿男ら)に分裂したが、まもなく中国の調停で統一した。

1985年死去。

著書

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1206頁。

参考文献

  • 『宮崎世民回想録』 青年出版社、1984年
  • 『実録中国『文革』礼賛者たちの節操』、宮森繁新日本出版社、1986年

関連項目