妙海尼

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妙海尼 (みょうかいに、貞享3年(1686年) - 安永3年2月25日1774年4月5日))は、江戸時代前期の女性。赤穂浪士の一人堀部武庸(安兵衛)の妻を自称した。

元文の頃、妙海尼と名乗る老婆の尼が「自分は赤穂義士の一人堀部安兵衛の妻である」と称して泉岳寺の近くの庵に住み、堀部武庸の墓を参拝していた。当時の人々は彼女を本物の武庸の妻と思い込み、妙海尼の庵にお布施をする人が多く出て、大金をせしめている。また興味を持って妙海尼の庵を訪れた丹波国篠山藩士の佐治為綱は、彼女の話を口述筆記して『妙海語』を執筆している。しかし、実際の武庸の妻・堀部ほりは、享保5年(1720年)に肥後国熊本で死去しており、堀部家の内部事情に詳しかったことから堀部家の女中ではないかともいわれている。

妙海尼は91歳で死去するまで武庸の墓守りに従事し、死後は泉岳寺に葬られた。

なお、妙海尼を題材にした小説も執筆されており、井上ひさしの『不忠臣蔵』や柴田錬三郎の『裏返し忠臣蔵』がある。