如宝

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如宝(にょほう、天平3年(731年[要出典]- 弘仁6年1月7日815年2月19日))は、奈良時代から平安時代にかけての律宗の渡来僧。安如保・如保とも呼ばれる。

彼の出身地は諸説があり、中央アジアゼラフシャン(ザラフシャン)川流域地方に定住したソグド系とも伝わる。

概要

孤児であったが、律宗の僧鑑真に拾われて師事し、鑑真とともに754年天平勝宝6年)日本へ来朝し、東大寺戒壇院で受戒している。一時下野薬師寺に住したこともあるが、鑑真の死によりその委嘱によって唐招提寺に戻ってそこに住し、伽藍の造営と律宗の高揚に尽力した。797年延暦16年)に律師、806年大同元年)に少僧都に任じられた。「日本後紀」の卒伝によれば、戒律を厳守し、大国の風格があったという。

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