大越俊夫

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大越 俊夫(おおごし としお、1943年 - )は元株式会社オーアイシー代表取締役。

略歴

広島県尾道市生まれ。1973年関西学院大学大学院米文学研究科博士課程修了。同大学院在籍中に帝塚山短期大学専任講師を務める。1975年、不登校児・高校中退生のための私塾を設立。塾長として「命に火をつける教育」を理念として掲げたが、資金繰りが滞り倒産。元テレ外語ビジネス学院長[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。同時にAIEを設立。月刊誌「パーセー」主宰。

外部リンク

  1. ^ 読売新聞1979年11月10日「ビジネス学校ピンチ」”. 1979年11月10日閲覧。
  2. ^ 読売新聞1979年11月27日「米のホテルが告訴」”. 1979年11月27日閲覧。
  3. ^ 読売新聞1979年11月30日「テレ外語債券乱発金集め」”. 1979年11月30日閲覧。
  4. ^ 読売新聞1979年12月2日「テレ・ロス校私は泣いた」”. 1979年12月2日閲覧。
  5. ^ 読売新聞1979年12月3日「テレ・ロス校は"もぐり校"」”. 1979年12月3日閲覧。
  6. ^ 読売新聞1979年12月4日1「テレ外語社長呼ぶ」”. 1979年12月4日閲覧。
  7. ^ 読売新聞1979年12月4日2「授業料は返さぬ」”. 1979年12月4日閲覧。
  8. ^ 読売新聞1979年12月5日「テレ外語開校時から資金ゼロ」”. 1979年12月5日閲覧。
  9. ^ 読売新聞1979年12月5日「テレ外語留学生が院長を"告訴"」”. 1979年12月5日閲覧。
  10. ^ 読売新聞1979年12月7日「テレ外語閉校宣言」”. 1979年12月7日閲覧。
  11. ^ 読売新聞1979年12月8日「テレ外語米国研修旅行の300万円ホテル代不渡り」”. 1979年12月8日閲覧。
  12. ^ 読売新聞1979年12月8日「テレ外語院長・社長ドロ仕合責任なすり合う債権者に土下座」”. 1979年12月8日閲覧。
  13. ^ 読売新聞1979年12月20日「父母への説明会から突然逃げ出した大越院長」”. 1979年12月20日閲覧。