大誠窯

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大誠窯(だいせいがま)とは、栃木県芳賀郡益子町にある、益子焼の窯元:陶器製造業である。

江戸時代末期の1861年文久元年)に開窯し [1]、約160年もの長きに渡り作陶してきた、益子町の中でも老舗の窯元であり、現在も現役としては益子最大の登り窯を補修や作り直しをしながら使い、作陶を続けている[2][3]

そして益子の土を使い[4]、柿釉、糠白釉、黒釉、飴釉、糠青磁釉や、地元の農家から貰ってきた藁も使い、益子焼の伝統を大切にしながら、自然と向き合った作陶を心掛けている[1][3]

6代目である大塚邦紀の考え方により、息子たちに「益子の外」で勉強や作陶の修業をさせたため[1][3]、 7代目となる大塚誠一はアメリカの大学を卒業した後に丹波篠山丹波焼柴田雅章に師事し[5]、そして「一人で益子焼という陶器の産地を作り上げた」濱田庄司の偉大さとやきものと益子焼の良さがわかり、好きになったという[3]

脚注

出典

  1. ^ a b c 日々の暮らし : 大誠窯”. 日々の暮らし. 2022年10月26日閲覧。
  2. ^ 作り手紹介・大誠窯 - ウツワヤ、シロオサ”. ウツワヤ、シロオサ. 2022年10月26日閲覧。
  3. ^ a b c d 【益子焼】昔ながらの登り窯で焼成する表情豊かなうつわ。「大誠窯」七代目・大塚誠一さん。 – 職人圖鑑”. 職人圖鑑 (2020年1月28日). 2022年10月26日閲覧。
  4. ^ 「益子の原土を継ぐ」陶芸家 大塚 誠一さん|土祭2021”. 土祭2021 (2015年8月5日). 2022年10月26日閲覧。
  5. ^ 柴田雅章と3人の弟子たち展-大塚誠一さんの器-|fennica(フェニカ)|BEAMS”. fennica(フェニカ)|BEAMS (2021年4月27日). 2022年10月26日閲覧。