大誠窯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大誠窯(だいせいがま)[1]とは、栃木県芳賀郡益子町にある益子焼の窯元:陶器製造業者である。

益子焼の窯元「大誠窯」。

窯業を興してから百数十年も経った今も、代々受け継がれてきた登り窯を用いて益子焼の器を作陶している[1][2]

また併設されている「大誠窯販売店」で、大誠窯の陶器を常時販売している[1][2]

概説[編集]

江戸時代末期の1861年文久元年)に開窯し[3]、約160年もの長きに渡り作陶してきた、益子町の中でも老舗の窯元であり、現在も現役としては益子最大の登り窯を補修や作り直しをしながら使い、作陶を続けている[4][5][6]

益子の土を使い[7]、柿釉、糠白釉、黒釉、飴釉、糠青磁釉や、地元の農家から貰ってきた藁も使い、益子焼の伝統を大切にしながら、自然と向き合った作陶を心掛けている[3][6]

6代目である大塚邦紀[8]の考え方により、息子たちに「益子の外」で勉強や作陶の修業をさせたため[3][6]、7代目となる大塚誠一はアメリカの大学を卒業した後に丹波篠山丹波焼の柴田雅章に師事し[5][9]、そして「一人で益子焼という陶器の産地を作り上げた」といわれる濱田庄司の偉大さとやきものと益子焼の良さがわかり、好きになったと語っている[6]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 小さな窯元めぐり,弘済出版社 2000, p. 137.
  2. ^ a b 枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間 2009, p. 31.
  3. ^ a b c 日々の暮らし:大誠窯”. 日々の暮らし. 2022年10月26日閲覧。
  4. ^ 作り手紹介・大誠窯 - ウツワヤ、シロオサ”. ウツワヤ、シロオサ. 2022年10月26日閲覧。
  5. ^ a b ビームス「フェニカ」ディレクターが日本の最高の手仕事が息づく栃木県 益子へ民藝に会いに行く。vol.3”. Discover Japan|ディスカバー・ジャパン (2020年8月29日). 2023年10月29日閲覧。
  6. ^ a b c d 【益子焼】昔ながらの登り窯で焼成する表情豊かなうつわ。「大誠窯」七代目・大塚誠一さん。 – 職人圖鑑”. 職人圖鑑 (2020年1月28日). 2022年10月26日閲覧。
  7. ^ 「益子の原土を継ぐ」陶芸家 大塚 誠一さん|土祭2021”. 土祭2021 (2015年8月5日). 2022年10月26日閲覧。
  8. ^ 「下野新聞」2005年(平成17年)10月8日付 11面「ひと広場」「走る楽しさにはまる」
  9. ^ 柴田雅章と3人の弟子たち展-大塚誠一さんの器-|fennica(フェニカ)|BEAMS”. fennica(フェニカ)|BEAMS (2021年4月27日). 2022年10月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • (株)キークリエイション 編『東京周辺 小さな窯元めぐり』弘済出版社〈ニューガイド 私の日本 α 29〉、2000年11月1日、137頁。ISBN 9784330619002 
  • 『焼物の里を訪ねて 益子・笠間 器の里、最新ガイド。』株式会社 枻出版社〈エイムック 1816〉、2009年10月20日、31頁。ISBN 9784777914579 
  • ジェイブックス編集部,テリー・エリス,北村恵子 著、ジェイブックス編集部 編『ニッポン最高の手しごと BEAMS〈fennica〉』光文社、2016年7月30日、36-39頁。ISBN 9784334978808 

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度27分50.6秒 東経140度06分17.5秒 / 北緯36.464056度 東経140.104861度 / 36.464056; 140.104861