堆朱楊成
堆朱 楊成(ついしゅ ようぜい)は、南北朝時代から現代まで続く堆朱工で21代を数える。
- 初代-長充(ちょうじゅう) - (生没年不詳)足利氏の臣で1360年初めて堆朱を作る。元の名工張成と楊茂から一字ずつとり楊成と号した。
- 2代-長辰(ちょうしん) - 足利義政に仕える。応永から嘉吉時代に存命。
- 3代-長貞(ちょうてい) - 同じく義政に仕え、茶器を作る。長享年間に70代で死去。
- 4代-長嗣 - 応仁から明応時代に存命。
- 5代-長繁 - 文亀から永正時代に存命。
- 6代-長秀 - 大永から永禄時代に存命。
- 7代-長親 - 豊臣秀吉に仕えて茶器を作る。これを難波彫という。元和時代に鎌倉で死去。
- 8代-長宗 - 彫漆に厚貝、青貝をいれてほりあげた独自の作風で知られる。江戸へ出る。1654年8月24日に没。
- 9代-長善承応時代に楊成を継ぐ。1680年8月13日に没。
- 10代-長是 - 徳川綱吉に仕え、以後代々徳川家に仕える。1719年4月26日に没。
- 11代-長盛 - 1719年に楊成を継ぐ。17年間徳川家に仕える。1735年9月30日に没。
- 12代-長韻 - 1735年に楊成を継ぐ。31年間徳川家に仕える。1765年5月22日に没。
- 13代-長利 - 1765年に楊成を継ぐ。1779年10月24日に没。
- 14代-均長 - 1780年に楊成を継ぐ。1791年6月23日に没。
- 15代-長蔭 - 1791年に楊成を継ぐ。1812年2月2日に没。
- 16代-長英 - 1811年に楊成を継ぐ。10年間徳川家に仕える。1848年11月8日に没。
- 17代-長邦 - 1820年に楊成を継ぐ。晩年剃髪し浄友を号とした。1858年8月11日に没。
- 18代-国平 - 通称は平八郎、のち平十郎。文久2年(1862年)、日光東照宮の修理に携る。1860年に楊成を継ぐ。明治維新で一時廃業。1890年3月8日に没。
- 19代-経長 - 18代の長男、通称は好三郎。1866年12月生まれ、堆朱技法を研究し再興を計る。1896年11月8日に没。
- 20代 - (1880年8月28日 - 1952年11月3日)18代の次男。幼名・豊五郎。19代に学び、絵画を佐竹永湖、彫技を石川光明に学ぶ。1896年、20代堆朱楊成を襲名。1927年帝展第四部(美術工芸)創設され出品、1928年緑綬褒章受章、1933年帝展審査員、1937年より文展に出品、1946年より日展に出品、1950年日本芸術院会員。
- 21代
参考文献
- 堆朱作品図録 楊成会編 楊成会 1929
- 堆朱楊成 美術日報社 1941