淑嬪崔氏
淑嬪 崔氏 숙빈 최씨 | |
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称号 | 徽徳安純綏福和敬淑嬪(諡号) |
出生 |
1670年11月6日 朝鮮国 漢城府余慶坊[注釈 1] |
死去 |
1718年3月9日 朝鮮国 漢城府彰義宮 |
埋葬 | 京畿道坡州市昭寧園 |
配偶者 | 粛宗 |
子女 | 英祖外二男 |
父親 | 崔孝元 |
母親 | 南陽洪氏 |
淑嬪 崔氏 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 숙빈 최씨 |
漢字: | 淑嬪 崔氏 |
発音: | スクピン・チェシ |
日本語読み: | しゅくひん・さいし |
淑嬪 崔氏(しゅくひん さいし、スクピン チェシ、1670年 - 1718年)は、李氏朝鮮の第19代国王粛宗の嬪。 第21代国王英祖の生母。諡は「和敬」(和敬淑嬪)。
生涯
[編集]本貫は海州。後日、領議政を追贈された崔孝元の娘として、1670年に生まれた。粛宗2年に7歳で入宮したとされている。宮廷のムスリ出身(雑事を担当する下女)とされる説もあるが、実際には針房(チムバン、침방)に所属していた宮女である(後に対立する禧嬪張氏も元は針房の女官であった。針房の女官は王族に仕える至密の女官に次いで高位であった)。後に仁顕王后付きの内人(尚宮でない女官の総称)となる。
1689年、仁顕王后閔氏が廃位され禧嬪張氏が王妃となった。
その後(1692年4月22日以降。正確な時期はわかっていない)、粛宗の寵愛を受けて承恩尚宮(スンウンサングン、승은상궁。正五品相当)になり、粛宗19年(1693年)4月26日に淑媛(スグォン、숙원。従四品相当)になる。その年、王子を産むが、2ヶ月で亡くなる。
甲戌換局で仁顕王后が復位された年(1694年)の9月13日、延礽君(ヨニングン、연잉군)、後の朝鮮の21代国王の英祖を産んだ。それに先立ち、同じ年の6月2日に淑儀(スグィ、숙의。従二品相当)になっている。
粛宗21年(1695年)6月8日に貴人(クィイン、귀인。従一品相当)になる。
粛宗24年(1698年)7月7日に子を産むが3日で亡くなる。
粛宗25年(1699年)6月13日、前年に第6代朝鮮王端宗が241年ぶりに復位されたことを祝賀して、正一品相当の淑嬪(スクピン、숙빈)となる。
1701年10月から1704年4月の間に本宮の昌徳宮(チャンドックン、창덕궁)を離れて、梨峴宮(イヒョングン、이현궁)に居所を移す。梨峴宮は淑嬪房(スクビンバン、숙빈방)と呼ばれるようになる。
粛宗37年(1711年)6月22日、粛宗は淑嬪崔氏を淑嬪房から息子・延礽君の居所へと移し、母子で暮らすよう御命を下す。
1716年ごろから急に病がちになり、私邸で療養していたが、 1718年3月息子・延礽君の私邸で亡くなる。享年49。
家族
[編集]- 父:贈議政府領議政 崔孝元(1638年-1672年)
- 母:贈貞敬夫人南陽洪氏
- 義父︰顕宗(第18代王)
- 義母︰ 明聖王后金氏(1642年 - 1684年)
- 夫:粛宗(第19代王)
- 長男(1693年 名は永壽。早世,無封君)
- 次男:英祖(第21代王)
- 三男(1698年 早世)
- 孫︰思悼世子/荘献世子 李愃(1735年 - 1762年)
- 曾孫︰正祖(第22代王)
淑嬪崔氏を演じた俳優
[編集]- 『朝鮮王朝五百年』 仁顕王后(1988年、MBC、日本未公開)演:キョン・ミリ
- 『妖婦 張禧嬪』(1995年、SBS)演:ナム・ジュヒ
- 『大王の道』(1998年、MBC)演:キム・ヨンエ
- 『張禧嬪-チャン・ヒビン-』(2003年、KBS)演:パク・イェジン
- 『トンイ』(2010年、MBC)演:ハン・ヒョジュ(日本語吹き替え版声優:加藤忍)子供時代:キム・ユジョン
- 『チャン・オクチョン-張禧嬪-』(2013年、SBS)演:ハン・スンヨン(日本語吹き替え版声優:福圓美里)
- 『テバク~運命の瞬間 (とき) ~』(2016年、SBS)演:ユン・ジンソ