口羽元通

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口羽元通
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 慶長19年8月12日1614年9月15日
改名 口羽才松丸(幼名)→元通
別名 通称:善九郎→七郎左衛門尉
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流口羽氏
父母 父:口羽通平、母:深瀬隆兼の娘
兄弟 元通、女(阿曽沼就郷室)、女(梨羽景宗室)、女(中川元寄室)、末国元貞
山名豊国の娘
なし
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口羽 元通(くちば もとみち)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将毛利氏家臣である口羽通平の嫡男。

生涯[編集]

毛利氏家臣である口羽通平の嫡男として生まれ、毛利輝元に仕える。

天正20年(1592年)4月から始まる文禄の役において、父・通平と大叔父・口羽春良が輝元に従って朝鮮へ渡海したが、慣れない朝鮮の風土から病にかかる者が続出し、同年10月11日に春良が開寧の陣中で病没。翌文禄2年(1593年3月9日には通平も死去したため、元通が後を継いだ。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、毛利氏の防長移封に従って元通も長門国へ移住。後に江戸詰めとなったが、慶長19年(1614年8月12日に江戸で病死した。若くして死去したため嗣子が無く、その所領は口羽春良の次男である元智に引き継がれた。

参考文献[編集]

  • 萩藩閥閲録』巻32「口羽衛士」
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション