千田夏光
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千田 夏光(せんだ かこう、1924年8月28日 - 2000年12月22日 本名:千田 貞晴)は、日本のノンフィクション作家、小説家。
1973年、『従軍慰安婦 正編』を上梓し、その中で「従軍慰安婦」という造語をはじめて使用した。ただし内容は日本人慰安婦についてが主である。その後も日本の戦争犯罪の告発に力を尽くした。
略歴
現・中華人民共和国の大連市生まれ。日本大学中退後、毎日新聞に入社。 1957年からフリー作家となる。1964年、毎日新聞発行の写真集「日本の戦歴」を編集時に『不思議な女性の写真を発見し』『この女性の正体を追っているうち初めて慰安婦なる存在を知った』[1]後、従軍慰安婦という用語を用いた初の著作「従軍慰安婦」(1973年)を公表。
著作について
「従軍慰安婦」という造語をはじめて使用した『従軍慰安婦 正編』では「女子挺身隊に動員された女性20万人のうち、5〜7万人が強制的に従軍慰安婦に従事した」と記述している。しかし調査によれば女子挺身隊に所属した女性が従軍慰安婦になった例は確認されていない。
また「女子挺身隊については動員された女性20万人のうち、5〜7万人が朝鮮半島出身女性で、それ以外は日本本土出身の女性である。」(当時 「朝鮮人」も日本国籍であるので本土とここでは記述する)と記述されているが、尹貞玉はこれを「20万人の朝鮮半島出身従軍慰安婦」とさらに誤読したことが、従軍慰安婦騒動をより複雑化させた。
『従軍慰安婦 正編』の中で原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や、『諸君!』で面会した事実に相次いで疑問が投げられた。
後に、千田は原の軍歴については、原自身に確認しないまま他の書物を引き写したことを認めている(原に面会した事実は、千田も原も否定していない)。また、関東軍に所属した別の関係者より、実際に連行した慰安婦は三千人であるという手紙をもらったことを述べている。
医師の天児都は2001年に出版した自著で、千田の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。千田は1996年4月、軍医だった天児の父、麻生徹男が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、父親を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしてしまったことを娘の天児に謝罪したが、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかったという。天児は「慰安婦問題」は千田の誤りを検証しないまま、それを事実として書かれた後の著作によって誤りを再生産して日本中に広め、それが海外へ流出して日本叩きの材料とされた事件だ」という旨を述べている[2][3]。
主な著作
- 従軍慰安婦(三一書房、のち、講談社文庫,1984年,ISBN 406183374X)
- 戦争で涙した女たちのどうしても語りたかった話
- 従軍慰安婦・慶子 死線をさまよった女の証言
- 従軍慰安婦 その支配と差別の構図
- 従軍慰安婦と天皇
- 従軍慰安婦とは何か 高校生徹底質問!!
- 従軍慰安婦 声なき声 八万人の告発
- 涙痕 オンナたちの戦争
- ニコニコ売春
- 植民地少年ノート