北畠師親
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時代 | 鎌倉時代中期 - 後期 |
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生誕 | 仁治2年(1241年) |
死没 | 正和4年10月6日(1315年11月3日) |
別名 | 覚円(法名) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 四条天皇 → 後嵯峨天皇 → 後深草天皇 →亀山天皇 → 後宇多天皇 →伏見天皇 →後伏見天皇 →後二条天皇 → 花園天皇 |
氏族 | 村上源氏中院流、北畠家 |
父母 | 父:北畠雅家 |
兄弟 | 師親、師行 |
子 | 師重、親房(実の孫)、親子(伏見天皇典侍)、資子(後醍醐天皇室の民部卿三位?)、 |
北畠 師親(きたばたけ もろちか)は、鎌倉時代中期から後期の公卿。正二位権大納言北畠雅家の子。北畠師重の父、北畠親房の祖父に当たる。護良親王の祖父とする説もある。
生涯
[編集]正応2年(1289年)9月、亀山上皇が出家し法皇になると、師親も仏門に入った[1]。
正和4年(1315年)10月6日、死去[1]。享年75[1]。
親子もしくは別の娘を通じて、後醍醐天皇皇子である征夷大将軍護良親王の母方の祖父に当たるという説があるが、異論もある(護良親王#誕生)。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 北畠親房 - 養嫡子