公同会運動

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公同会運動(こうどうかいうんどう)は、琉球王国尚泰王の子である尚寅尚順らが中心となって起こした運動。復藩運動とも言う。

内容

1896年ごろ、尚寅らが琉球人の一致を目的として、公同会を結社、この公同会が沖縄県の執政権(知事職)を尚家が世襲制とすることを目指して運動を起こした。

1897年明治30年)、公同会の代表が上京し、政府に対して請願した。

請願主な内容としては

  1. 沖縄県の執政者を尚家に任せること。
  2. 執政者は政府の監視下で沖縄県行政を担当させること。
  3. 沖縄県に強い自治権を与え、議会を設けること。

日本政府はこの請願を却下、公同会運動は終息にむかった。