伴真臣
伴 真臣(とも の まおみ、延暦13年(794年) - 天長9年5月24日(832年6月25日))は、平安時代初期の貴族。氏姓は大伴宿禰のち伴宿禰。名は直臣とも記される。参議・大伴伯麻呂の孫。従五位下・大伴名鳥の九男[1]。官位は従四位下・右兵衛督。
経歴
弘仁14年(823年)淳和天皇の即位に伴い従五位下に叙せられる。左馬助・右兵衛権佐・右少弁・左衛門権佐を歴任し、天長5年(828年)従五位上、天長7年(830年)正五位下、天長8年(831年)従四位下と淳和朝半ばにおいて急速に昇進する。のち右兵衛督を務めるが、急病を発し天長9年(832年)5月24日自邸にて卒去。享年39。最終官位は右兵衛督従四位下。
官歴
『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁14年(823年)4月27日:従五位下。日付不詳:左馬助、右兵衛権佐、兼尾張守
- 時期不詳:右少弁、左衛門権佐
- 天長5年(823年)正月7日:従五位上
- 天長7年(830年)正月7日:正五位下
- 天長8年(831年)10月6日:従四位下
- 時期不詳:右兵衛督