仁木義尹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Akas1950 (会話 | 投稿記録) による 2022年11月25日 (金) 09:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (貼り付けタグに年月を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
仁木義尹
時代 室町時代南北朝時代
生誕 不詳
死没 不詳
幕府 室町幕府
主君 足利義詮足利義満
氏族 仁木氏
父母 実父:仁木頼章
養父:仁木頼夏
兄弟 義兄:仁木頼夏
テンプレートを表示

仁木 義尹 (にき よしただ)は、南北朝時代武将

生涯

正平15年・延文5年(1360年)に祖父の仁木義長が政争に敗れて没落したあとも幕政に関与し、同年には、丹波丹後守護補佐された。正平16年・康安元年(1361年細川清氏楠木正義を中心とした南朝軍がに乱入したが、これを破った[1]。正平23年・応安元年(1368年)、伊予国にて南朝方の河野通尭と戦うが敗れる[1]

参考文献

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 仁木義尹”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社. 2022年6月8日閲覧。