九条恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。114.27.162.127 (会話) による 2021年8月9日 (月) 15:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎生涯)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

九条 恵子(くじょう やすこ、1876年明治9年)12月 - 1972年昭和47年)3月)は、公爵九条道実九条道孝の長男)の妻。大谷光瑩の次女。母は木下俊愿の三女・恒子。

生涯

跡見女学校(現跡見学園女子大学)卒業。名家の子女が学ぶ学校として著名だった跡見女学校の卒業生のなかでも、とくに才能が秀でており、「跡見三才媛」の一人と呼ばれた[1]。道実との間に一男五女を儲けた。長男は道秀。長女・兼子は侯爵佐竹義春佐竹義生の長男)、次女・豊子は中山輔親中山孝麿の子)、四女・敏子賀陽宮恒憲王に嫁いだ。恵子は大日本婦人教育会評議員、愛国婦人会本部評議員、婦人法話会幹事として活躍した。95歳で死去。

脚注

  1. ^ 『読売新聞』1892年3月10日記事

出典