中西良介

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中西 良介(なかにし りょうすけ、1892年11月20日 - 1975年4月5日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将

経歴

兵庫県出身。1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業 1934年(昭和9年)8月、陸大教官。1938年(昭和13年)3月、陸軍大佐。同年5月、ブラジル大使館付武官、翌年8月、参謀本部付。1940年(昭和15年)3月、浜松陸軍飛行学校教官、同年12月、鉾田陸軍飛行学校幹事。1941年(昭和16年)7月、第17飛行団長、同年8月、陸軍少将

1942年(昭和17年)8月、第4飛行団長、ビルマ航空戦で活躍、東印ティンスキヤ空爆などを指揮。1943年(昭和18年)12月、陸軍航空審査部本部長。1944年(昭和19年)10月、第5航空軍参謀長、1945年(昭和20年)3月、陸軍中将。朝鮮半島京城で終戦。

親族

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。