中島峰広

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中島 峰広(なかしま みねひろ[1]1933年 - )は[2]日本農業地理学者[3]博士(学術)[4]。畑地灌漑・棚田研究の第一人者である[5]早稲田大学教育学部(社会科地理歴史専修)の教員として長く教鞭を執ったほか、農林水産省日本の棚田百選の選定委員や[2]棚田学会会長[6][7]、NPO法人棚田ネットワーク代表を歴任した[2][5][8]

経歴

1933年宮崎県生まれ[2]早稲田大学教育学部(地理学士)を卒業後、開成学園教諭を経て早稲田大学教授に就任[2]

1993年、「日本における畑地潅漑の歴史地理学的研究」により、早稲田大学から博士(学術)を取得した[4]

2004年より、早稲田大学名誉教授[2]

『棚田』の定義

中島が、棚田の面積を量的に把握する必要から、農林水産省が、1988年に『水田要整備量調査』で対象とした「傾斜1/20(水平方向に20メートル進んだときに1メートル高くなる傾斜)以上の土地にある水田」を棚田と定義し、分布図を作成して以降、一般的にこれが棚田の定義として使われるようになった[5][8]

著作

  • 『続百選の棚田を歩く』、古今書院、2006年
  • 『百選の棚田を歩く』、古今書院、2004年
  • 『日本の棚田』、古今書院、1999年
  • 『現代の地理 敎授資料』、山川出版社前島郁雄田辺裕との共著)、1986年
  • 『世界の地理 敎授資料』、山川出版社(同上)
  • 『詳說地理』、山川出版社(同上)、1989年
  • 『地理用語集』、山川出版社(同上)、1984年

脚注

  1. ^ 姓の読みは、「なかじま」ではない。
  2. ^ a b c d e f 食と文化的景観」『新鐘』第70号、早稲田大学、68-69頁、2016年2月12日閲覧 
  3. ^ 2004年9月18日(土)~20日(月) 日本海時代の祭典開催”. 日本海時代の祭典. 2016年2月12日閲覧。
  4. ^ a b 日本における畑地潅漑の歴史地理学的研究 中島峰広”. 国立国会図書館. 2016年2月12日閲覧。
  5. ^ a b c 棚田とは”. 松崎町石部地区棚田保全推進委員会. 2016年2月12日閲覧。
  6. ^ 今井英輔 (2009年11月17日). “「東北アジア棚田シンポジウム&写真展」参加報告” (PDF). 棚田学会通信 (棚田学会) (29): p. 6. http://tanadagakkai.com/29.pdf 2016年2月12日閲覧. "日本からは棚田学会会長の中島峰広先生、… と私の4名が参加 しました。"  - 棚田学会機関紙の記事
  7. ^ 活動の記録”. 棚田LOVER's. 2016年2月12日閲覧。
  8. ^ a b 棚田の歴史と定義”. 棚田ネットワーク. 2016年2月12日閲覧。