中国貯蓄銀行
株式会社中国貯蓄銀行(ちゅうごくちょちくぎんこう)は、日本の鳥取県米子市にかつて存在した貯蓄銀行である。
概要
明治30年(1897年)2月15日、県内に本店を持つ最初の貯蓄銀行として株式会社中国貯蓄銀行が、東倉吉町の米子銀行内に資本金3万円で設立され、同年4月4日から開業した[1]。
初代頭取は平井京次郎といったが、実質は米子銀行の貯金銀行部のような形であった[1]。後に野坂茂三郎が頭取となっている[1]。
支店は初め御来屋、境、淀江に置き、代理店を西伯、日野両郡内10ヵ所に置いた[1]。明治32年(1899年)の預金高は2万7000円を超え、預け人は2176人で、その平均は12円57銭1厘に及んだ[1]。そのうちの本店の預け人をみると、農514、商644、雑379、計1560人となっている[1]。本行はその後明治44年(1911年)11月本店を法勝寺町四十番地に新築した[1]。
大正8年(1919年)に一時取り付け騒ぎを起こしたが、大正11年(1922年)1月に行名を中国興業銀行と改め普通銀行となった[1]。昭和3年(1928年)2月に米子銀行に合併された[1]。
参考文献
- 『米子商業史』(1990年、編纂・著作 米子商工会議所米子商業史編纂特別委員会 106頁)