ヴィエルコポルスカ・ピャスト家
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ヴィエルコポルスカ・ピャスト家(Piastowie wielkopolscy)は、ポーランドのピャスト家の分枝の一つ。ミェシュコ3世(老公)を始祖とし、ヴィエルコポルスカ公国を領有した。
一族の中でポーランド君主(クラクフ公)の座に就いたのはミェシュコ3世老公、その末息子ヴワディスワフ3世(細足公)、そして一族最後の男子となったプシェミスウ2世である。プシェミスウ2世は1295年、2世紀ぶりにポーランド国王として戴冠を果たしたが、翌1296年に暗殺された。1338年、プシェミスウ2世の従妹で、ヴワディスワフ1世(短躯王)の未亡人であるヤドヴィガ・ボレスワヴヴナが没すると同時に、ヴィエルコポルスカ公家の血統は最終的に絶えた。
ミェシュコ3世 1122/1125年 - 1202年 |
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オドン 1141/1149年 - 1194年 |
ステファン 1150年頃 - 1166/1177年 |
ルドミワ 1153年以前 - 1223年 |
ユディタ 1154年以前 - 1201年 |
エルジュビェタ 1154年以前 - 1209年 |
ボレスワフ 1159年 - 1195年 |
ミェシュコ 1160/1165年 - 1193年 |
ヴワディスワフ3世 1161/1166年 - 1231年 |
サロメア 1162/1164年 - 1183年以後 |
アナスタジヤ 1170年以前 - 1240年 | ||||||||||
ヴワディスワフ 1190年頃 - 1239年 |
エウフロジナ ? - 1231年以後 |
リクサ ? - 1238年以後 |
ヴィエシュホスワヴァ 1195年以前 - 1212年以後 |
エウドクシヤ(?) 1195年以前 - 1270年? |
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ヤドヴィガ 1218/1219年 - 1234年 |
プシェミスウ1世 1220/1221年 - 1257年 |
ボレスワフ 1224/1227年 - 1279年 |
ジェモミスウ(?) 1228/1235年 - 1235/1236年 |
サロメア 1225/1235年 - 1267/1274年 |
エウフェミア 1239年 - 1287年頃 | ||||||||||||||
コンスタンツィア 1245/1248年 - 1281年 |
エウフロジナ 1247/1252年 - 1298年 |
アンナ 1253年 - 1295年以後 |
エウフェミア 1253年 - 1298年 |
プシェミスウ2世 1257年 - 1296年 |
エルジュビェタ 1261/1263年 - 1304年 |
ヤドヴィガ 1270/1275年 - 1339年 |
アンナ 1276年 - 1300年以前 | ||||||||||||
リクサ・エルジュビェタ 1288年 - 1335年 |