ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ

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ロブソン
名前
本名 ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ
Robson Luiz Pereira da Silva
ラテン文字 ROBSON
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1974-09-21) 1974年9月21日(49歳)
出身地 ヴォルタ・レドンダ
身長 183cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ(Robson Luiz Pereira da Silva, 1974年9月21日 - )はブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

経歴[編集]

ブラジルポルトガルのクラブを経て、1997年からはロシアリーグの強豪FCスパルタク・モスクワに移籍、UEFAチャンピオンズリーグにも出場し得点を挙げるなど活躍した。

2002年には、FCスパルタク・モスクワからロシアリーグ得点王(15ゴール)という実績を引っさげて、前年に得点王に輝くなどチームを牽引したエースストライカー、ウィルの後釜としてコンサドーレ札幌レンタル移籍した。その輝かしい実績に加え、開幕直前の練習試合で前年度Kリーグ王者の城南一和から2得点を奪うなど活躍したが、いざシーズンが開幕するとまったく試合で活躍できず、5月に退団した。その後、リーグ・ドゥ(フランス2部リーグ)のFCロリアンに移籍。2006年にブラジルに帰国しマリーリアACで選手生活を終えた。

エピソード[編集]

  • 後に、ロシアリーグ得点王という実績は嘘であり、実際は15ゴールでなく11ゴール(チーム内得点王)である事が判明した。また、スパルタク・モスクワではチームと揉め事を起こしており、厄介払いされた形での札幌移籍であった。
  • 札幌では公式戦で全く活躍できなかったために、第6節終了後、当時監督だった柱谷哲二から「ロブソンには責任を取ってもらう」という珍発言を引き出した。しかし、これには選手に責任を転嫁する発言だとして同監督への批判も強かった。その後、少しずつ調子を取り戻し、当時、同僚だった井上敦史からは「帰国する前には体もきれていて誰もとめられなかった」とコメントされている。しかし、第7節以降、ロブソンが日本で公式戦のピッチに立つことはなかった。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1992 マツバラ 2部
1993 ソヒーゾ
1994
1995 パラグアスエンセ
1995 モジ・ミリン
1995 コリンチャンス 16 2
1996 ゴイアス
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1996-97 ウニオン・レイリア 3 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 フェロヴィアリオ 2部
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
1997 スパルタク・モスクワ 10 1
1998 20 3
1999 20 7
2000 24 10
2001 28 11
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 札幌 9 J1 5 0 0 0 - 5 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2002-03 ロリアン 2部 18 4
2003-04 28 7
2004-05 24 5
通算 ブラジル 1部
ブラジル 2部
ポルトガル 3 0
ロシア 102 32
日本 J1 5 0 0 0 - 5 0
フランス 2部 70 16
総通算

タイトル[編集]

選手時代[編集]

FCスパルタク・モスクワ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]