レニングラード事件

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レニングラード事件(レニングラードじけん、: Ленинградское дело , : Leningrad affair)とは、1940年代末から50年代初め、レニングラード党支部の外に反ソビエト組織を創る「意図」を持ち、「反逆」を行ったとして、ソ連共産党の著名なメンバーの多くを告発するために偽造された、連続「犯罪」事件である。

その結果、1950年、ゴスプラン議長ニコライ・ヴォズネセンスキーロシア共和国閣僚会議議長ミハイル・ロディオノフ英語版党書記アレクセイ・クズネツォフ英語版ピョートル・ポプコフロシア語版市長、ヤーコフ・カプーシチンロシア語版ピョートル・ラズーチンロシア語版死刑判決を受けた。「共犯者」の残りは、それぞれ異なる刑期を言い渡された。

同時に、ソ連当局はレニングラードの党及び政府の指導部を刷新した。約2千人が指導部を追われ、2百人以上がその親類縁者共に弾圧された。

告発された全員が、後に(多くはその死後に)名誉を回復された。