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レイモンド・ウォン

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レイモンド・ウォン
黃百鳴
プロフィール
出生: (1946-04-08) 1946年4月8日(78歳)
出身地: 香港
職業: 映画プロデューサー脚本家俳優
各種表記
繁体字 黃百鳴
簡体字 黄百鸣
拼音 粤拼・wong④ baak③ ming④
漢語拼音・huáng băi míng
和名表記: レイモンド・ウォン
英語名 Raymond Wong
Raymond Bak-Ming Wong
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レイモンド・ウォン黃百鳴: Raymond Wong1946年 - )は、香港映画プロデューサー脚本家俳優である。現・天馬影視文化控股有限公司会長。製作した作品は200本を超え、出演した作品は40にのぼる[1]

経歴

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アマチュア劇団で脚本・演出・俳優として活動していたが、やがてテレビドラマの脚本を任されるようになり、その後脚本家として映画界に入る[2]。1980年にカール・マッカ(麥嘉)、ディーン・セキ(石天)と3人で、のちに『悪漢探偵』や『男たちの挽歌』、『友は風の彼方に』など大ヒット作を世に送りこんだ映画会社シネマシティ(新藝城電影公司)を設立した[2]

そこでウォンは脚本家、プロデューサーとして活動。初期シナリオの多くを書き[3]、『搭錯車(原題)』『何必有我?(原題)』『過ぎゆく時の中で』の3本は香港電影金像奨の主演男優賞(孫越、ケント・チェンチョウ・ユンファ)を受賞[1]。同時に、自身でプロデュース脚本主演を務め、後にシリーズとなった『ハッピー・キョンシー/女子高生てんこもり(原題・開心鬼)』を製作するなど、俳優としても活動した。

1991年、シネマシティの会社解散後は自ら東方電影發行有限公司(Mandarin Films Distribution)を創立[2]レスリー・チャンチャウ・シンチーマギー・チャンサンドラ・ン共演の賀歳片(旧正月コメディ映画)『ハッピー・ブラザー』が大ヒット、レスリー・チャン主演作『恋はマジック』『金玉満堂/決戦!炎の料理人』『夜半歌聲/逢いたくて、逢えなくて』や、ドニー・イェン主演『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』、ウィルソン・イップ監督のイップ・マンシリーズの製作プロデューサー、『セブンソード』『導火線 FLASH POINT』の製作総指揮などをつとめ、2008年の『イップ・マン 序章』では、第28回香港電影金像奨において最優秀作品賞を受賞した。

その直後より東方電影の持ち株を売却、役職を退き[4]、2010年には脚本家であり息子のエドモンド・ウォン(黃子桓)とともに天馬電影有限公司(Pegasus Entertainment)を立ち上げた[2]。シネマシティ時代から、カメオ出演や主演に多くの人気スターを配した賀歳片を撮り続けており、賀歲片プロデューサー、賀歲片俳優のイメージも持つが[5]、それも2016年には92年のヒット作『ハッピー・ブラザー』のリマスターロングバージョンをリバイバル上映することで途絶えた[6]

主な作品

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主な製作

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シネマシティ

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東方電影

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天馬電影

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主な脚本

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