ラルモディ博物館

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ラルモディ博物館
ラルモディ博物館の位置(バレンシア県内)
ラルモディ博物館
バレンシア県内の位置
ラルモディ博物館の位置(スペイン内)
ラルモディ博物館
ラルモディ博物館 (スペイン)
施設情報
開館 1917年
所在地 スペインの旗 スペインバレンシア州バレンシア県シャティバ
プロジェクト:GLAM
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ラルモディ博物館カタルーニャ語: Museu de l'Almodí)またはアルムディン博物館スペイン語: Museo de Almudín)は、スペインバレンシア州バレンシア県シャティバにある博物館。ラルモディまたはアルムディンと呼ばれる14世紀のゴシック様式の建物に入っている。1917年に博物館として開館した。

建物[編集]

建物が完成した頃のシャティバ(1563年)

シャティバはヨーロッパにおける初期の紙生産英語版の中心地であった。また、ボルジア家出身の第209代ローマ教皇カリストゥス3世(在位1455年-1458年)と第214代ローマ教皇アレクサンデル6世(在位1492年-1503年)の出身地であり、17世紀に活躍したバロック画家ホセ・デ・リベーラもシャティバ出身である。

この建物はバレンシア・ゴシック様式英語版によって1530年から1548年に建設され[1]、建設当初は小麦の貯蔵・販売施設だった。建物の上階は小麦の貯蔵に、下階は小麦の販売に用いられ、この状態は20世紀初頭まで続いた。この建物がラルモディ博物館となったのは1917年のことである。

フェリペ5世の肖像画[編集]

上下さかさまのフェリペ5世の肖像画

スペイン継承戦争中の1707年6月6日、スペイン・フランス連合軍によってシャティバ包囲英語版が行われ、フェリペ5世シャティバの町を焼き払うように命じたうえに、町の名称を自身の名にちなむサン・フェリペに改称するように命じた。

ラルモディ博物館にはフェリペ5世の肖像画がわざと上下さかさまの状態で展示されており、これは1961年まで館長を務めたカルロス・サルソウ・カレレスが、シャティバ包囲に対する非難の意味でこの状態とした。カルロス・サルソウ・カレレスは「スペイン王室の一員が三度謝罪をするまでは、フェリペ5世の肖像画は上下さかさまのままだ」と語っている。

脚注[編集]

  1. ^ Gran Enciclopedia Temática de la Comunidad Valenciana. (2009) 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯38度59分16.4秒 西経0度31分18.5秒 / 北緯38.987889度 西経0.521806度 / 38.987889; -0.521806