メンズウェア (バンド)
メンズウェア | |
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出身地 |
イギリス ロンドン |
ジャンル | ブリットポップ |
活動期間 | 1994年 - 1998年 |
旧メンバー |
ジョニー・ディーン サイモン・ホワイト クリス・ジェントリー スチュアート・ブラック マット・エヴェレット ダレン・トッドラム ポール・フレッチャー |
メンズウェア(MenswearもしくはMenswe@r)は、イギリスのロックバンド。
概要
1994年結成。デビュー前にしてメディアから「ブリットポップ期待の大型新人バンド」として、大きく取り上げられるというハイプ現象を巻き起こした。またメンバーの端正なルックスも影響して、とりわけ日本では本国イギリス以上に人気が加熱した。しかしブリットポップの終焉に比例するように急速に人気が下降していき、1998年に早くも解散。今では「ブリットポップの仇花」としてその名を残しており、ブリットポップの負の側面を象徴する存在として語られることも少なくない。
メンバー
オリジナル・メンバー
- ジョニー・ディーン (Johnny Dean, 本名: John Hutchinson Dean, 1971年12月12日) - ボーカル
- サイモン・ホワイト (Simon White, 本名: Simon Ian White, 1974年7月1日) - ギター、コーラス
- クリス・ジェントリー (Chris Gentry, 本名: Christopher Gentry, 1977年2月23日) - ギター
- スチュアート・ブラック (Stuart Black, 本名: Stuart Lee Black, 1974年4月1日) - ベース
- マット・エヴェレット (Matt Everett, 本名: Matthew Stephen Everett), 1972年8月13日) - ドラムス
後に加入したメンバー
1996年にマットが脱退し、以下の二人が加入した。
- ダレン・トッドラム (Darren Tud Tudgaye) - ドラムス
- ポール・フレッチャー (Paul Fletcher) - キーボード、コーラス
来歴
1994年、ロンドンにて結成。当時はブリットポップ・ムーブメントの真っ只中ということもあって、1995年の初ライヴ時には23社ものレコード会社が集結した。しかしそのライヴの出来があまりにひどかったため、ほとんどのレコード会社からは見放されたものの、バンドの将来性を見込んだロンドン・レコードと50万ポンドで契約を結ぶという幸運なスタートを切る[1]。またデビューシングルすらリリースしないうちに音楽誌の表紙を飾り、トップ・オブ・ザ・ポップスにも出演し、一躍世間の注目を集める。
1995年、デビューシングル「マネイジ・サムハウ」は限定5000枚でリリースされ、数時間で即完売。その後も「デイドリーマー」、「スターダスト」といったシングルをヒットチャートに送り込む。1stアルバム『ニューサンス』では、ブラーやパルプ、エラスティカなど同時代のバンドの影響を感じさせるサウンドを聴かせた。またアルバム発売後にシングルカットされた「ビーイング・ブレイヴ」は、全英チャートのトップテン入りを果たした。
ちなみにメンバーのルックスの良さもあって、当時日本では女性ファンを中心に人気を集めていた。『rockin'on』を始めとした様々な音楽雑誌の表紙を飾ったうえに、読者投票では軒並みスーパーグラスらを押さえ最優秀新人に選ばれた[2]。また日本のビールのCMソング「アイム・フーチ」を書き下ろしたりと、日本ではブリットポップの象徴的存在だったといえる。
しかし徐々にメディアからは「ハイプ」「見かけだけで中身のないバンド」などと非難の嵐を受けるようになっていき、徐々にメンズウェアは失速していく。1996年に「髪形ばかり気にするドラマーとは一緒にやっていけない」と言う不可解な理由でマットの脱退(クビ)を発表。そして新メンバーの加入を経た直後のシングル「ウィ・ラヴ・ユー」発表後はセカンドアルバムの制作が中々進まず、1997年にはロンドン・レコードから解雇されてしまう。
1998年に、3年ぶりとなる2ndアルバム『アイ・ティエンポ』を完成させる。前作とはかけ離れたカントリーロック路線のアルバムに仕上がっていたが、本国ではレコード会社と契約できなかったため、結局日本のみでのリリースとなった。しかしその日本でもあまり売れなかった。ほどなくしてメンズウェアは解散となった。
メンバーの近況
- ジョニー・ディーンは、ベーシストのスチュアートやエラスティカのメンバーとMessiahというバンドを結成し、2000年頃まで活動していた[3]。その後は携帯電話の着メロの会社に勤務していたが、現在は不明。密かにソロライヴを行ったという情報もあった。
- サイモン・ホワイトは、しばらく服の卸売業をした後、マネージャー業に転身。ブロック・パーティ、ダズ・イット・オフェンド・ユー・ヤー?、スカウティング・フォー・ガールズといった人気バンドを担当している。
- クリス・ジェントリーは、インディーバンドのVatican DCのメンバーとして活動していたが、サイモンと同じくマネージャー業に転身している。2児の父。
- マット・エヴェレットはバンド脱退後にモントローズ・アヴェニューというバンドに加入したが、そのバンドもすぐに解散。現在は、ロンドンのラジオ局Xfmに勤務している[4]。
後日談
2005年3月号のロッキング・オンにおいて、元メンバーのサイモン・ホワイトがインタビューに応じている。それによると、メンズウェア解散後に、10万ポンドで再結成ライヴをやらないかという話が持ちかけられ、サイモンがメンバー全員をディナー・パーティに招待したものの、ある者は既にひどく酒に酔っており、またある者は体調が悪くて何も食べられず、残りの2人は最初から最後まで言い争いするなど散々なもので、結局は実現しなかったという。
また、ジ・オーディナリー・ボーイズのメンバーから「メンズウェアのファンだったんです」と言われ握手を求められたり、自身がマネージャーを務めるブロック・パーティのケリーからは「僕がはじめて行ったライヴはメンズウェアのライヴで……」と打ち明けられたという。
ディスコグラフィー
アルバム
- ニューサンス / Nuisance (1995) - 全英11位、オリコン25位
- アイ・ティエンポ / Hay Tiempo (1998)
シングル
以下の順位は全て全英チャートによる
- マネイジ・サムハウ / I'll Manage Somehow (1995) - 49位
- デイドリーマー / Daydreamer (1995) - 14位
- スリーピング・イン / Sleeping In (1995) - 24位
- スターダスト / Stardust (1995) - 16位
- ビーイング・ブレイヴ / Being Brave (1996) - 10位
- ウイ・ラブ・ユー / We Love You (1996) - 22位
出典・脚注
- ^ 「ミュージック・ライフ」1996年2月号
- ^ そのことを知ったスーパーグラスのギャズは、「よりによってなぜメンズウェアなのか」と不快感をあらわにしていたという。
- ^ Messiah MySpace
- ^ Matt Everitt Biography