マクシミリアン・アンドレアス・フォン・バーデン

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マクシミリアン・アンドレアス
Maximilian Andreas
バーデン家家長
2017年7月8日
在位 1963年 -

全名
出生 (1933-07-03) 1933年7月3日(90歳)
ドイツの旗 ドイツ国、バーデン共和国、ザーレム、ザーレム城
子女
家名 ツェーリンゲン家
父親 ベルトルト・フォン・バーデン
母親 テオドラ・フォン・グリーヒェンラント
宗教 キリスト教ルーテル教会
サイン
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マクシミリアン・アンドレアス・プリンツ・フォン・バーデンドイツ語: Maximilian Andreas Prinz von Baden, 1933年7月3日 - )は、ドイツの旧諸侯の1つバーデン大公家の家長(1963年 - )。儀礼称号としてバーデン辺境伯ドイツ語: Markgraf von Baden)およびツェーリンゲン公(ドイツ語: Herzog von Zähringen)を名乗る[1]

経歴

バーデン大公家家長ベルトルトとその妻のギリシャ王女テオドラ(ギリシャ王子アンドレアスの次女)の間の長男(第2子)としてザーレム城英語版で生まれた。イギリスのエディンバラ公フィリップの甥、チャールズ3世の従兄にあたる。

1963年の父の死に伴い大公家の家督を継承し、1966年にトスカーナ大公家ヴァレリー英語版フーベルト・ザルヴァトール大公の七女)と結婚した。9月23日にザーレムドイツ語版で民事婚が、9月30日にペルゼンボイク城ドイツ語版で宗教婚が行われた。長年にわたりバーデン辺境伯家ワイン醸造所(Weingüter des Markgrafen von Baden)を経営していたが、1998年に長男のベルンハルトに譲って引退した。

子女

妻ヴァレリーとの間に3男1女を儲けた。

脚注

外部リンク

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先代
ベルトルト
バーデン大公家家長
1963年 -
次代
ベルンハルト英語版