ホーラス・ヘイマン・ウィルソン

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ホーラス・ヘイマン・ウィルソン(Horace Hayman Wilson、1786年9月26日 - 1860年5月8日)は、イギリス東洋学者オックスフォード大学の初代サンスクリット教授であり、またサンスクリット辞典の編纂でも知られる。

略歴[編集]

ウィルソンはロンドンに生まれた。はじめ医学を修め、1808年にイギリス東インド会社ベンガルの施設の外科医に任命された。インドに到着後、化学と冶金学の知識を買われ、カルカッタの造幣局で働き、1816年には金属分析の主任になった[1]。その一方でサンスクリットを研究し、1811年から1832年までベンガル・アジア協会の書記をつとめた[2]

1832年にオックスフォード大学の初代サンスクリット教授に就任したため、インドを離れてイギリスに帰った。1836年にはチャールズ・ウィルキンズをついで東インド会社図書館の司書に任命された。

ウィルソンは1823年の王立アジア協会の創立時からの会員であり、1837年には理事に選ばれた[3]。1834年に王立協会フェロー(FRS)に選出された。

主な著書[編集]

没後に論文集が出版されている(全12巻)。『ヴィシュヌ・プラーナ』の翻訳(6-10巻)を含む。

  • Works of the late Horace Hayman Wilson, M.A., F.R.S.. London: Trübner & Co. (1862-1871) 

脚注[編集]

  1. ^ Bendall (1900) pp.97-98
  2. ^ History, The Asiatic Society, http://asiaticsocietycal.com/history/4.htm 
  3. ^ “Appendix”. Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland 4: xlvi. (1837). https://archive.org/stream/journalofroyalas4183roya#page/n511/mode/2up/search/Horace+Wilson. 

参考文献[編集]