ホスロー・ハーン

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ホスロー・ハーン(? - 1320年)は、インド北部を支配したハルジー朝の簒奪者。

ハルジー朝の歴代君主との血縁関係は無く、第3代君主・アラー・ウッディーン・ハルジーが登用したヒンドゥー教徒からイスラム教徒への改宗者系の人材の1人という。第5代君主・クトゥブッディーン・ムバーラク・シャーの側近として仕え、政治に無関心なムバーラクに代わって実権を任された。やがて力を蓄えたホスローは1320年にクーデターを起こしてムバーラクを殺し、自ら君主となり、「スルタン・ナーシルッディーン」を名乗った。

だが、バンジャーブ地方を治めていた総督のギヤースッディーン・トゥグルクはこれを認めずに挙兵する。デリーを落とされ、処刑された。

参考文献[編集]