ペーテル・ヴィスヘルホフ

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ペーテル・ヴィスヘルホフ
名前
ラテン文字 Peter Wisgerhof
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1979-11-19) 1979年11月19日(44歳)
出身地 オランダの旗 ヴァーヘニンゲン
身長 181cm
体重 84kg
選手情報
ポジション CB
利き足 右足
ユース
オランダの旗 ONA '53
オランダの旗 フィテッセ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 オランダの旗 フィテッセ 15 (0)
2000-2001 オランダの旗 NEC (loan) 34 (4)
2001-2009 オランダの旗 NEC 236 (9)
2009-2014 オランダの旗 トゥウェンテ 122 (8)
代表歴
2000-2001 オランダの旗 オランダ U-21 13 (1)
2009 オランダの旗 オランダ B 1 (0)
2010-2011 オランダの旗 オランダ 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年7月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ペーテル・ヴィスヘルホフPeter Wisgerhof, 1979年11月19日- )は、オランダヴァーヘニンゲン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはCB

経歴[編集]

クラブ[編集]

1999-2000シーズンにフィテッセでプロキャリアを開始し、NECナイメヘンへの1年の期限付き移籍を経て、同クラブに完全移籍を果たす。NECでの9季の在籍で主将を務めた。2009年1月14日、アヤックス・アムステルダムへと去ったロブ・ウィーラールト (nl) の後釜としてFCトゥウェンテと3年半の契約を締結する[1]と、すぐさま地位を確立し、2季目にリーグ優勝を経験。2010年夏にはシアトル・サウンダーズFCへと去ったブレイズ・ヌクフォから主将の座を引き継ぎ、シーズン開始時にアヤックスを1-0で破りヨハン・クライフ・スハールのタイトルを獲得。同2010-11シーズンの冬に契約を2013年半ばまで延長[2]し、2011年5月にKNVBカップで優勝した。2011-12シーズンは、アヤックスに次ぐ2位でシーズンを終えたが、ヨハン・クライフ・スハールでは再びアヤックスを破り優勝した。ちなみに、同大会で露骨なダイブをしており、試合後に最悪なダイビングだったと自身で認めている[3]

代表[編集]

U-21代表で13試合1得点を記録。ベルト・ファン・マルワイク監督の下、2010年10月1日に30歳でA代表に初招集され[4]、11月17日のトルコ代表戦で負傷したヨリス・マタイセンに代わり後半から初出場を飾った。

タイトル[編集]

クラブ
オランダの旗 FCトゥウェンテ

脚注[編集]

  1. ^ "FC Twente rond met Peter Wisgerhof"
  2. ^ "Peter Wisgerhof verlengt contract"
  3. ^ "Wisgerhof: "Slechtste schwalbe was van mij""
  4. ^ "Wisgerhof verrassing bij Oranje"

外部リンク[編集]