ペルジーノ
ペルジーノ | |
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自画像 | |
本名 | ピエトロ・ヴァンヌッチ |
国籍 | イタリアペルージャ |
ペルジーノ(Perugino, 1448年頃 - 1523年[1][2])は、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家。
1450年頃、ペルージャ近郊のチッタ・デッラ・ピエーヴェに生まれる。本名はピエトロ・ヴァンヌッチ。「ペルジーノ」は「ペルージャ人」の意味である。 フィレンツェのヴェロッキオの工房にて油彩を習得した[1]。 当時極めて人気の高い画家であり、多くの助手や徒弟を抱えて制作活動を展開したが、その注文の多さが原因で同じモチーフを繰り返しつつも質の劣る作品を描いた[3]。
ペルジーノの事績のうち重要なことは、ボッティチェリ、ギルランダイオらとともに、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当したことである[4]。ペルジーノは、この壁画制作にあたり棟梁的な役目を果たしたとみなされており、若きラファエロの師でもあった。イタリア中から発注を受け「神のごとき画家」と賞賛されるも、宗教改革以降に多くの祭壇画が散逸してしまった。
特徴
ペルジーノの人物像は、やや感傷的、類型的なきらいはあるが、優美で上品な表現が特色である。殊に、フィレンツェのピッティ美術館にある「マグダラのマリア」は、これが宗教画であることを忘れさせるほど、甘美で官能的な女性像である。また、ペルジーノの描く人物はレオナルド・ダ・ヴィンチのそれと比較して輪郭線が明瞭である[1]。
代表作
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『聖ヒエロニムスと聖マグダラのマリアをともなうピエタ』(1473年、ウンブリア国立絵画館収蔵)
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『ジョヴァンニ・アントニオ・ペトラツィオ・ダ・リエーティの娘の潰瘍を治す聖ベルナルディーノ』(1473年、ウンブリア国立絵画館収蔵)
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『ガリツィン三連祭壇画』(1485年頃、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)収蔵)
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『玉座の聖母子と2聖人、2天使』(1492年頃、ルーヴル美術館収蔵)
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『聖母の聖ベルナルドゥスへの顕現』(1493年頃、アルテ・ピナコテーク収蔵)
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『少年の肖像』(1495年、ウフィツィ美術館収蔵)
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『石棺の上のキリスト』(1495年、ウンブリア国立絵画館収蔵)
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『デチェンヴィリ祭壇画』(1495-1496年頃、ヴァチカン美術館収蔵)
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『慰めの聖母』(1496-98年、ウンブリア国立絵画館収蔵)
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『サン・フランチェスコ・アル・プラートの復活』(1499-1501年頃、ヴァチカン美術館収蔵)
- カナの婚礼(ウンブリア国立絵画館収蔵)
他多数
脚注
関連項目
参考文献
- フイエ『イタリア美術』白水社〈文庫クセジュ〉、2012年。