プラン=シュル=メール
Poullan-sur-Mer | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | カンペール郡 |
小郡 (canton) | ドゥアルヌネ小郡 |
INSEEコード | 29100 |
郵便番号 | 29226 |
市長(任期) |
マルティーヌ・ル・ゴフ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Douarnenez |
人口動態 | |
人口 |
1 523人 (2010年) |
人口密度 | 50人/km2 |
住民の呼称 | Poullanais, Poullanaise |
地理 | |
座標 | 北緯48度05分 西経4度25分 / 北緯48.08度 西経4.41度座標: 北緯48度05分 西経4度25分 / 北緯48.08度 西経4.41度 |
標高 |
平均:60m 最低:0m 最高:101 m |
面積 | 30.35km2 |
公式サイト | www.poullan-sur-mer.fr |
プラン=シュル=メール (Poullan-sur-Mer)は、フランス、ブルターニュ地域圏、フィニステール県のコミューン。
地理
[編集]プランはドゥアルヌネとラ岬の間に位置し、カンペールからは30km離れている。ブルトン語での名称はPoullanで、poulとは教区を意味し、lannは修道生活をおくる庵を意味している。
歴史
[編集]現在のプランという名称は、何世紀も前の変換、変化の結果である。12世紀(1162年)、教区は原始的なキリスト教区が数多くの名前を構成する中から、プリュイ・ラン(Plui lan)またはプロエ(Ploe)という名で知られていた。こうした名前は5世紀から7世紀の間にマンシュ(イギリス海峡)を渡りブルターニュ半島へ人々が定住した頃に遡る。プロエラン(Ploelan)という名は、信者が結集した教区であるploe、ランデヴェネック(Landevennec)のように庵の意味を持つlanとに分割できる。こうしてPloeが新設された。
13世紀から15世紀にかけ、プロエ・ラン(Ploe-lan)の名称が使われ続けた。その後、17世紀にPlo-erléとなった。17世紀の間にPloulanという名称が見つかる。Poldan(1617年)、Plolan(1643年)、ploelan(1680年)、Pollan(1695年)となり、18世紀になってPoullanに固定された。1689年にヴェネツィアで印刷された地図においては、名がPollnaとなっていた。
現在の名称プラン=シュル=メールは、1935年12月27日のデクレで登録された、比較的新しい名称である。
ブルトン語
[編集]2013年5月18日、コミューン議会はYa d'ar brezhoneg憲章の批准を可決した。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2010年 |
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1179 | 1085 | 1269 | 1586 | 1627 | 1517 | 1489 | 1523 |
参照元:1999年までEHESS[1]、2000年以降INSEE[2][3]
ゆかりの人物
[編集]- ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ - プラン在住