フラヴィオ・アンブロゼッティ

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フラヴィオ・アンブロゼッティ
Flavio Ambrosetti
生誕 (1919-10-08) 1919年10月8日
出身地 スイスの旗 スイス ルガーノ
死没 (2012-08-21) 2012年8月21日(92歳没)
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン作曲家
担当楽器 サクソフォーンヴィブラフォン

フラヴィオ・アンブロゼッティFlavio Ambrosetti1919年10月8日 - 2012年8月21日)は、スイスジャズヴィブラフォン奏者、サックス奏者、エンジニアである。

アンブロゼッティの主なキャリアはエンジニアであった。ジャズ・サークルにおける彼への称賛は、たまにミュージシャンとして活動することからきている。子供の頃にピアノを学び、十代でテナーサックスとアルトサックスを演奏することを学んだ。彼はチューリッヒの工学学校に通い、第二次世界大戦中にリオ・デ・グレゴリと演奏した。その後10年間、ギル・クッピニやヘイジー・オスターヴァルトとともに演奏した。1950年代、彼はサイドマンとして、レイモンド・コートやジョルジュ・グルンツを含む自身のアンサンブルで演奏した。1960年代、彼は息子のフランコ・アンブロゼッティや、ジョルジュ・グルンツ、ダニエル・ユメールを含むクインテットを率いて、ツアーを行い、テレビやラジオ放送で紹介された。彼はこのアンサンブルを1972年にビッグバンドに拡大し、ヨーロッパをツアーし、デクスター・ゴードンフィル・ウッズと演奏した。グルンツは1978年にこのグループのリーダーとなった。

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