デクスター・ゴードン
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| デクスター・ゴードン Dexter Gordon |
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デクスター・ゴードン(1977年)
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1923年2月27日 |
| 死没 | 1990年4月25日(満67歳没) |
| ジャンル | ジャズ |
| 職業 | バンドリーダー、サクソフォーン奏者、俳優 |
| 担当楽器 | テナー・サクソフォーン |
| 活動期間 | 1940年 - 1986年 |
| レーベル | サヴォイ・レコード ダイアル・レコード ブルーノート |
| 公式サイト | [1] |
デクスター・ゴードン(Dexter Gordon、1923年2月27日 - 1990年4月25日)はアメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者である。ビバップやハード・バップの分野で名演を残し、また、俳優としても活躍した。
[編集] 来歴
カリフォルニア州ロサンゼルスで、医者の息子として生まれた。13歳の時にクラリネットを始め、15歳でサックスに転向。1940年から本格的にプロとして活動を始め、1943年に初めて自己名義のリーダー・セッションを行う。その後ビリー・エクスタインという歌手のバックを務めた。
1945年、デクスターはビリーのバンドを離れニューヨークに行く。1945年から1947年にかけてサヴォイ・レコードのためのレコーディング・セッションを行い、バド・パウエル、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどの敏腕プレイヤーと共演。その成果は、『デクスター・ライズ・アゲイン』『ロング・トール・デクスター』といったアルバムに収められた。更に、1947年にはダイアル・レコードのためのセッションも行った。その後も活動を続けるが、1950年代後半は麻薬の影響でスランプとなる。
1960年代初頭から1976年にかけて、フランスやデンマークを拠点に活動。再び音楽活動が軌道に乗った時期で1963年にバド・パウエルらと共にパリで録音し、ブルーノートから発表した『アワ・マン・イン・パリ』は人気の高い1枚。その他、ケニー・ドリューなどと共演している。なおデンマークのゲントフテに滞在していた頃、現地のジャズ・クラブのマスターと親しくなりマスターの息子の代父となるが、その子は後にメタリカのドラマーとして成功を収めるラーズ・ウルリッヒであった[1]。
1976年にはアメリカに戻り、殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行った。後に有名サックス奏者となるジョー・ロバーノはこの時の演奏を生で聴いており、「私をサックス奏者として最も向上させてくれた経験だった」と述懐している。
1986年には映画『ラウンド・ミッドナイト』で主役を務め、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
1990年4月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで亡くなる。67歳。

