ピエールフォン城

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2002年5月撮影
地図
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ピエールフォン城(ピエールフォンじょう 仏:château de Pierrefonds)とはフランス城郭である。オワーズ県ビレルコトレコンピエーニュ間に位置し、パリの北方、コンピエーニュの森の南東にある印象的な城である。ピエールフォン城はヨーロッパ中世城郭のほとんどの特徴を兼ね備えている。

ピエールフォンに城が建てられたのは12世紀のことであるが、1392年にはフランス王シャルル6世によってヴァロア家所領とされ、弟のルイがオルレアン公として封じられた(ルイ・ドルレアン)。翌1393年からルイが亡くなる1407年までに、宮廷建築家のジャン・ルノアールによって城郭の完成を見る。

19世紀の修復開始前の遺跡の状況

1617年3月に城はリシュリューに派遣された軍により包囲され、破城作業が開始されたが、城の規模が大きかったため全部は破壊されなかった。その後2世紀の間、城は廃墟のままであった。1810年にナポレオン・ボナパルトが城を購入した。19世紀の中世建築の見直しの動きを受けて、城はロマンチックな遺跡となった。1857年にナポレオン3世ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクに修復を依頼し、1885年に部屋の装飾等一部未完成の状況で修復作業が終了した。修復作業は厳密な復元を目指したものではなく、宮殿としての機能を重視したものである。1862年以降、城は歴史的記念物として保護されている。

座標: 北緯49度20分49秒 東経2度58分49秒 / 北緯49.34694度 東経2.98028度 / 49.34694; 2.98028