パブロ主義

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パブロ主義とは、トロツキズムから派生した一潮流。

それまでトロツキストは、スターリン主義共産党を「ブルジョア秩序の側に移行」した(過渡的綱領)とみなしていたが、中国共産党ユーゴスラヴィア共産党が革命によって権力を奪取したことによって、トロツキストたちの間でスターリン主義共産党の性格についての再検討がなされる。

ミシェル・パブロにより率いられた第四インターナショナル国際書記局は、近い将来に新たな戦争と革命的大衆運動が起き、それがスターリン主義共産党や社会民主党・労働党など大衆的労働者党を中国ユーゴスラヴィアのように権力奪取へ押しやることを想定し、スターリン主義共産党や社会民主党・労働党に加入してこれら諸党を革命化しようと考えた。これがパブロ主義といわれる。

これは修正主義であると非難され、第四インターナショナルの分裂を招いた。アメリカ合衆国イギリスフランススイスアルゼンチンなどのトロツキスト諸党は、パブロ主義に反対して第四インターナショナル国際委員会を結成した。

パブロ主義の展望は破産したが、エルネスト・マンデル(ジェルマン)らによって引き続きパブロ修正主義の政策が取られた。第四インターナショナル国際委員会のうち、アメリカ合衆国とアルゼンチンの組織は1963年に第四インターナショナル国際書記局と合同し、第四インターナショナル統一書記局を形成した。

ミシェル・パブロは、第四インターナショナル統一書記局から脱退し、彼の国際潮流を形成した。