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トゥールビヨン (時計)

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トゥールビヨン付柱時計(上部の部品)

トゥールビヨンTourbillon、フランス語で「渦」の意 )とは機械式時計に搭載される機構の一つで、機械式時計の姿勢差を克服するために発明された特殊な脱進器(エスケープメント)のことである。「ツールビロン」「タービロン」とも呼ばれる。アブラアム・ルイ・ブルゲにより発明された。

概要

理想的な機械式時計は、どの向きで置いても時を刻む速度は同じでなければならない。しかし現実的には部品精度(主に重さのバランス)の限界により重力の影響を受け、具体的には12時を上にしたときと6時を上にしたときで時を刻む速度が異なる等、置き方によって狂いが出る。このような、時計の置き方による精度の狂いを「姿勢差」と呼ぶ。

トゥールビヨンは、4番車の上にガンギ車とアンクル、テンプ一式を取り付け、脱進器全体が回転(通常1分間に1回転)することにより、垂直方向の姿勢差を分散(平均化)させてこの問題を解決するものである。通常の時計では、香箱車(一番車、動力源となる主ゼンマイを格納)→2番車(60分で一周し、分針・時針の動きを制御)→3番車(2番車と4番車の間を取り持つ中間車)→4番車(ガンギ車に絡み、60秒で1周するように調速される。秒針を回す)→脱進調速機(ガンギ車、アンクル、テンプ、ヒゲゼンマイからなり、4番車のスピードを制御し、主ゼンマイが一気にほどけることも防止する) 、という具合に機構が連なっている。

トゥールビヨンでは、脱進調速機一式を、回転するキャリッジ(ケージ=篭)に収める。上記の歯車のうち、4番車はキャリッジの下に固定される(動かない)。その4番車のさらに下で、通常は中間車に過ぎない3番車がキャリッジの回転軸のカナ(カナ=小歯車、ピニオンとも言う)に絡み、キャリッジを回転させる動力を伝達している。そして、ガンギ車と同軸にあるガンギカナがキャリッジ下の4番車に絡んでいる。ガンギ車が回転すれば、それに応じてガンギカナも回転する。そして、ガンギカナとガンギ車は同調して回転しながら、固定された4番車の周囲を巡ることになる。その動きに連動して脱進機を収めたキャリッジ全体の回転が調速される機構になっている。現在の時計の場合、このキャリッジは1分で1回転し、スモールセコンドの役割も果たすことがある(なお、ブレゲが発明したトゥールビヨンは4分で1回転だった)。

精度を司るメカニズムである脱進調速機が、こうして回転するため、時計がひとつの姿勢に固定されていても、脱進調速機に掛かる重力の方向は刻々と変わることになり、影響も分散されることになる。特に重要なのは、等時性を生み出すテンプの動きを律するヒゲゼンマイである。重力が一方向から掛かり続けると、ヒゲゼンマイはその方向へとたわみ、変形を生じ、規則的な動き=等時性が阻害されるようになる。このように重力の悪影響を打ち消せることが、トゥールビヨンの最大のメリットである。それ故に、置き時計や柱時計、さらにはポケットの中で長時間一定の姿勢となってしまう懐中時計において、クォーツ時計が発明されるまでは極めて有効な機構であった。

この機構は部品の点数が多い、各部品を極めて軽くかつ高精度に作らなければならない、微妙な調整が必要で組み立てに高度な技術を要求される、1本製作するのに長い時間がかかるなどの理由で価格は高額になる。そのため「機械式時計の最高峰」などという文言で表されることもある。

歴史

トゥールビヨン搭載の懐中時計 (18世紀ブレゲ)

ブレゲがトゥールビヨンを発明した時期ははっきりしないが、1801年6月26日にトゥールビヨンの特許を取得している。

その時代はまだ腕時計が登場する前であり、携帯用の時計とは懐中時計のことであった。懐中時計は携帯中でもほぼ同じ姿勢が保たれるため、姿勢差の補正は有効に働いた。

初めてトゥールビヨンを腕時計に搭載したのはフランスブランドのLIPで1930年のことである。その後姿勢差減少を目的に1947年オメガ1948年パテックフィリップが相次いで開発し、天文台コンクールに出品したが成績は芳しくなく、主流はテンプの大径化や高振動化に向かった。さらに1960年代末からのクォーツショックにより機械式時計とともに衰退してしまった。

現代のトゥールビヨン

1983年に時計ブランドとしてのブレゲ(当時はショーメがブレゲのブランドを所有していた)がトゥールビヨン腕時計を復活させて以降、1980年代後半からの機械時計ブームに乗って「見せるため」の高級機構として復権を果たした。この頃には「製造できる時計師は世界で10人しかいない」等と言われ、製造・販売できるのは一部の高級時計メーカーに限られた。

腕時計は生活の中で姿勢が3次元的に変化するので、実用的にはトゥールビヨンの必要性は低い。それでもメーカーは自社製品群のフラッグシップモデルにトゥールビヨンを搭載することで技術を誇示する狙いがあった。

近年になって多数のメーカーが製作するようになり、1992年には矯大羽がアジア人で初めてトゥールビヨン腕時計を作成、バーゼル・フェアで発表した。

2000年頃からは香港で量産されるようになり、10万円未満で入手可能になるなど大衆化が進む一方、高級モデルの中にはキャリッジを立体的に回転させるものが表れるなど、さらなる複雑化も進んでいる。

関連項目

外部リンク