トゥールビヨン (時計)

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トゥールビヨン付柱時計(上部の部品)

トゥールビヨンTourbillon、フランス語で「渦」の意 )は、懐中時計など可搬で任意の姿勢をとりうる(任意の方向に重力による加速度が掛かる)機械式時計において、内部の一部の構造全体を回転させることにより、姿勢差による系統的なズレをキャンセルし克服する機構ないしそれを採用した時計、及び特にその中心部であるそのような脱進器のことである。「ツールビロン」「タービロン」とも呼ばれ、フランス人時計師アブラアム=ルイ・ブレゲの発明がその嚆矢とされている。

部品の点数が増える、各部品を極めて軽くかつ高精度に作らなければならない、微妙な調整が必要で組み立てに高度な技術を要求される、1本製作するのに長い時間がかかるなどの理由で、トゥールビヨンは非常に高額であった。そのため長らく、パーペチュアル・カレンダー等と並ぶ最高級機械式時計の代名詞のひとつとなっていた。

しかしながら2000年以降、生産技術の発展等により量産され10万円未満で入手可能になるなどコストダウンの方向に進んだトゥールビヨンも現れ、他方、高級モデルの中にはキャリッジを立体的に回転させるものも現れるなど、多様化が進んでいる。

概要[編集]

高精度なクロノメーターなどは、ある程度の動揺は受ける前提であるものの、基本的には船室などに固定され、一定の姿勢(たいていは水平)が保たれることを前提としている。これに対し懐中時計などはしばしば縦にされるため、脱進機の構造上避けられないバランスの偏りが重力の影響を受け、具体的には12時を上にしたときと6時を上にしたときで進度が異なってしまう。このような、時計の置き方による精度の狂いを「姿勢差」と呼ぶ。

トゥールビヨンは、4番車の上にガンギ車とアンクル、テンプ一式を取り付け、脱進器全体が回転(通常1分間に1回転)することにより、垂直方向の姿勢差を分散(平均化)させてこの問題を解決するものである。通常の時計では、香箱車(1番車。動力源となる主ゼンマイを格納すると同時に、時針の動きを制御)→2番車(60分で一周し、分針の動きを制御)→3番車(2番車と4番車の間を取り持つ中間車)→4番車(ガンギ車に絡み、60秒で1周するように調速される。秒針を回す)→脱進調速機(ガンギ車、アンクル、テンプ、ヒゲゼンマイからなり、4番車のスピードを制御し、主ゼンマイが一気にほどけることも防止する) 、という具合に機構が連なっている。

トゥールビヨンでは、脱進調速機一式を、回転するキャリッジ(ケージ=篭)に収める。上記の歯車のうち、4番車はキャリッジの下に固定される(動かない)。その4番車のさらに下で、通常は中間車に過ぎない3番車がキャリッジの回転軸のカナ(カナ=小歯車、ピニオンとも言う)に絡み、キャリッジを回転させる動力を伝達している。そして、ガンギ車と同軸にあるガンギカナがキャリッジ下の4番車に絡んでいる。ガンギ車が回転すれば、それに応じてガンギカナも回転する。そして、ガンギカナとガンギ車は同調して回転しながら、固定された4番車の周囲を巡ることになる。その動きに連動して脱進機を収めたキャリッジ全体の回転が調速される機構になっている。現在の時計の場合、このキャリッジは1分で1回転し、スモールセコンドの役割も果たすことがある(なお、ブレゲが発明したトゥールビヨンは4分で1回転だった)。

精度を司るメカニズムである脱進調速機が、こうして回転するため、時計がひとつの姿勢に固定されていても、脱進調速機に掛かる重力の方向は刻々と変わることになり、影響も分散されることになる。特に重要なのは、等時性を生み出すテンプの動きを律するヒゲゼンマイである。重力が一方向から掛かり続けると、ヒゲゼンマイはその方向へとたわみ、変形を生じ、規則的な動き=等時性が阻害されるようになる。このように重力の悪影響を打ち消せることが、トゥールビヨンの最大のメリットである。それ故に、置き時計や柱時計、さらにはポケットの中で長時間一定の姿勢となってしまう懐中時計において、クォーツ時計が発明されるまでは極めて有効な機構であった。

歴史[編集]

浅岡肇による日本初のトゥールビヨン腕時計(プロトタイプ)

ブレゲがトゥールビヨンを発明した時期ははっきりしないが、1801年6月26日にトゥールビヨンの特許を取得している。

その時代はまだ腕時計が登場する前であり、携帯用の時計とは懐中時計のことであった。懐中時計は携帯中でもほぼ同じ姿勢が保たれるため、姿勢差の補正は有効に働いた。

初めてトゥールビヨンを腕時計に搭載したのはフランスブランドのLIPで1930年のことである。その後姿勢差減少を目的に1947年オメガ1948年パテック・フィリップが相次いで開発し、天文台コンクールに出品したが成績は芳しくなく、主流はテンプの大径化や高振動化に向かった。さらに1960年代末からのクォーツ革命により機械式時計とともに衰退してしまった。

トーマス・プレシャーによる3Dトゥールビヨン

1983年に時計ブランドとしてのブレゲ(当時はショーメがブレゲのブランドを所有していた)がトゥールビヨン腕時計を復活させて以降、1980年代後半からの機械時計ブームに乗って「見せるため」の高級機構として復権を果たした。この頃には「製造できる時計師は世界で10人しかいない」等と言われ、製造・販売できるのは一部の高級時計メーカーに限られた。

近年になって多数のメーカーが製作するようになり、1992年には矯大羽がアジア人で初めてトゥールビヨン腕時計を作成、バーゼル・フェアで発表した。日本では2009年浅岡肇が初めて製造に成功し、BRUTUS誌で発表した。翌2010年には菊野昌宏が永久カレンダーを組み込んだトゥールビヨンを発表した[1]。さらに2011年には浅岡が「Tourbillon #1」の発売を開始した。ケースからムーブメントまでほぼすべて自作のため年間生産数は約10本、値段も682万5千円に達する。

トゥールビヨンはもともと懐中時計の機構であり、より小さい腕時計に組みこんだ際の精度には懐疑的な声も聞かれたが、現在の精度コンクールでの成績の上位は殆どがトゥールビヨンであり、その高精度が証明されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]