ツァグヴリ

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ツァグヴリ

წაღვლი
ツァグヴリ村
ツァグヴリ村
ジョージア (国)の旗 ジョージア
シダ・カルトリ州
地区 ハシュリ地区
テミ (თემი) ツァグヴリ・テミ
標高
880 m
人口
(2014)[1]
 • 合計 538人
等時帯 UTC+4 (GET)
市外局番 368
地図北緯42度07分15秒 東経43度41分50秒 / 北緯42.1208度 東経43.6972度 / 42.1208; 43.6972

ツァグヴリグルジア語: წაღვლიグルジア語ラテン翻字: Tsaghvli)は、ジョージアシダ・カルトリ州ハシュリ地区にある村落ツァグヴリ・テミの中心地。ロパニスツカリ川西プロネ川グルジア語版の右支流)の谷地に位置する。海抜は880メートル。ハシュリからは北北東へ約30キロメートルの位置にある。村内には複数の集落が散在している。ツァグヴリ城塞グルジア語版ツァグヴリ聖ギオルギ教会グルジア語版が建てられている。

ツァグヴリは、カルトリグルジア語版において最も古い、歴史的な村の一つである[2]

人口[編集]

国勢調査による人口は、次の通り。

人口 男性 女性 出典
2002 760 351 409 [3]
2014 減少 538 274 264 [1]

歴史[編集]

ツァグヴリにはジョージア西部とを結ぶ道が通っており、地元民は古来より「サイメルロの道」と呼んでいる。この道はクヴェナツコツァグルジア語版の谷を起点とし、アビシグルジア語版村からクルディスツカロ村を経由してチョルチャナグルジア語版村のチェラツヘヴィ川グルジア語版を通り、コルボウリグルジア語版サチヘレグルジア語版チアトゥラゲラティグルジア語版村、クタイシへと続いている。古代に建てられたツァグヴリスタヴィグルジア語版の四塔城塞により、この道路は堅固に守られてきた。城塞は建設王ダヴィト4世の祖父バグラト4世グルジア語版により再建されたが、城塞の建設に関する歴史的資料は秘匿とされ語られておらず、ツァグヴリスタヴィ要塞の建設時期や歴史は明らかになっていない。

城塞は平たい石と石灰モルタルで作られており、4つの塔を備えていた。この城塞の遺跡は、セメントで固められた部分以外は存在しておらず、石灰の山が残骸として残っている。城塞は17世紀から18世紀にかけて再興が試みられたが、複雑な内部構造や外的要因のため工事は行われず、未使用の石灰液が残された。城塞は1930年代に解体され、道路として舗装され、また解体された城塞の一部は住民が家を建てるために使用した。

ツァグヴリに関して記載のある歴史的資料は乏しく、歴史書『カルトリの生涯グルジア語版』において初めて登場する。この歴史書によると、勇猛な戦士であったが政治的には貧弱であったギオルギ2世は、息子であるダヴィド2世に王権を譲ったとあり、ダヴィド2世はツァグヴリ村のツァグヴリスタヴィ城塞を夏季の居住地とした。ツァグヴリスタヴィグルジア語版の村とツァグヴリスタヴィ城塞グルジア語版は現在のツァグヴリ村の西に位置しており、地元の人々は今でも「ガラヴネビ」(გალავნები、「城壁」の意)という地名で呼んでいる。地名には歴史の一部を伝えるものがあるが、そのような地名がツァグヴリではよく見られる。

1976年、アレクサンドレ・ラミシヴィリグルジア語版準博士率いる研究チームがツァグヴリ村で考古学的発掘調査を実施。その結果、石器時代や青銅器時代の遺物が数多く発見された。その大部分はハシュリ地方伝承博物館グルジア語版に保存されている。

考古学的な遺跡とは別に、聖堂の遺構や封建時代の集落跡も残されている。村には約30の考古学的な集落があり、レゾス・ミツァ、クヴィララ・カリ、ゴロコ、クヴィニカゼエビス・ミツァ、チョチコリ・カリ、ガラヴネビ、ツベビ、ミケラアンツ、ヴェルハヴェビ、ギゴス・ミツァ、ザカス・ツケ、パタラ・ラシェ、などが挙げられる。封建時代の集落としては、クヴィニカゼエビス・コレ、オサナジス・アホ、ハラウリアアント・サティヴェ、ツァツフヴェビ、ガラヴネビ、チョチコリ・カリ、ニコロジ、ミリツカロ、などが挙げられる。バルバツィ門、チョチコリの門、聖ニコロズ聖堂の遺構は、1930年代にそのほとんどを『超革命家グルジア語版』が破壊した。その後、慈善家のギオルギ・ミケラシヴィリとスヴィモン・ミケラシヴィリの兄弟により、聖ニコロズ聖堂が再建された。またシモン・カパナゼにより、スヴィモン・メスヴェティ記念聖堂が建設された[2]

ツァグヴリ・テミ[編集]

ツァグヴリを中心として、ツァグヴリ・テミグルジア語: წაღვლის თემიグルジア語ラテン翻字: Tsaghvlis Temi)と呼ばれる共同体(テミ)を構成している。ツァグヴリ・テミを構成する集落は、次の8村である。

  1. ツァグヴリ
  2. ゼモ・ブロロサニ
  3. クルディスツカロ
  4. ティツヴィニスツカロ
  5. クヴェモ・ブロロサニ
  6. コビ
  7. チョルチャナ
  8. ツェグヴェリ

参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b საქართველოს 2014 წლის მოსახლეობის საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები (PDF) (Report). საქართველოს სტატისტიკის ეროვნული სამსახური英語版. 15 January 2019. p. 378. 2020年12月3日閲覧
  2. ^ a b წაღვლის ტერიტორიული ორგანო, オリジナルの2013-07-21時点におけるアーカイブ。, https://archive.is/OJj99 2020年12月3日閲覧。 
  3. ^ საქართველოს მოსახლეობის 2002 წლის პირველი ეროვნული საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები, ტომი II p.239