チャンドラー・ヘイル

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チャンドラー・ヘイル

チャンドラー・ヘイル(Chandler Hale, 1873年3月2日 - 1951年5月)は、アメリカ合衆国政治家

生涯[編集]

1873年3月2日、ヘイルはワシントンD.C.において、共和党の政治家ユージーン・ヘイルとメアリー・ダグアス・チャンドラー (Mary Douglas Chandler) の息子として誕生した[1]

ヘイルは国務省に入省した。ヘイルは1897年イタリアローマで合衆国大使館の書記官を、1901年から1905年までオーストリアウィーンで合衆国大使館の書記官を務めた。ヘイルは1907年オランダで開催された第2回ハーグ平和会議に、合衆国の代理人として出席した[1]

1901年9月25日、ヘイルはウィリアム・タフト大統領からアメリカ合衆国第三国務次官補に任命された[2]。ヘイルは1901年10月14日に着任したが、上院休会中に任命を受けたため、1909年12月13日にあらためて上院の承認を受けた。ヘイルは1909年12月13日まで同職を務めた。

1951年5月に死去[3]

参考文献[編集]

  1. ^ a b worldconnect.rootsweb.com
  2. ^ http://www.state.gov/www/about_state/history/officers/tasec.html
  3. ^ http://www.state.gov/r/pa/ho/po/11435.htm
公職
先代
ウィリアム・フィリップス
アメリカ合衆国第三国務次官補
1909年10月14日 - 1913年4月21日
次代
ダッドリー・フィールド・マローン