ジェレミー・デール
ジェレミー・デール | |
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個人情報 | |
生誕 | 1962年11月23日(61歳) カナダ・オンタリオ州・トロント |
ジェレミー・デール(Jeremy Dale 、1962年11月23日 - )は、カナダ・トロント出身のレーシングドライバー。モータースポーツでの彼のキャリアは、レーサー、テレビコメンテーター、レースシリーズディレクター、レースチームプレジデント、レースチームオーナーとして30年以上に及ぶ。
経歴
デールはカナダのアマチュアとヴィンテージカーで16歳でデビュー。彼の最初のレースカーは、トライアンフモーターサイクルエンジンを搭載した1955年のクーパーフォーミュラ3であった。彼は1969年のロータス69フォーミュラフォードを所有し、レースをした。
1983年には、ジム・ラッセルスクールに通い、その後テストドライバーとして活動した。1990年からは、日産のドライバーに抜擢されて、IMSA GTに参戦。複数の勝利を収めた。デイトナ24時間レースにも参戦し、クラス優勝を果たした経験もある。しかし、1995年にロード・アトランタにてファブリツィオ・バルバッツアと接触し、大きなクラッシュに見舞わてしまった。デールは、重症を負い、数回に渡って手術を受けたが、しばらく松葉杖や車椅子での生活を余儀なくされ、レースからの引退を余儀なくされた。
しかし、翌年からモータースポーツの解説者として活躍し、デウィッド・ホッブズやデレック・デイリー等ともに様々なカテゴリーのレース解説を行い話題となった。その後はモータースポーツのマネジメント会社を設立。ライアン・ハンター=レイやダニカ・パトリック等のマネジメントを行っている。また自身のモータースポーツチームの代表も務めている。
参考文献
- インタビュー-Autoracing1.com- 2005年7月(サブスクリプション)
- Q&A-Crash.net- 2004年4月
- Motorsportpediaページ
- ライアンブリスコーとのチャンプカー電話会議-2006年10月
- グローブアンドメール-2003年7月
- CNETニュース-2006年7月
- Motorsport.com- 2000年2月
- Autoracing1.com- 2001年12月(サブスクリプション)
- レーシングスポーツカー
外部画像
- 1988-コロンバスストリートサーキット-ファイアストンファイアホーク-ダッジデイトナ
- 1989-ロードアトランタ-ファイアストンファイアホーク-ダッジデイトナ
- 1989-ロードアメリカ-ファイアストンファイアホーク-イーグルタロン
- 1989-ロードアメリカ-IMSAGTU-ダッジデイトナ
- 1990-トピーカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1990-トピーカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1990-トピーカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1990-トピーカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1990-トピーカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1990-ミッドオハイオ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1991-ミッドオハイオ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1991-ロードアメリカ-IMSAGTO-日産300ZXターボ
- 1992-ミッドオハイオ-IMSAGTS-日産300ZXターボ
- 1992-ロードアメリカ-IMSAGTS-日産300ZXターボ
- 2003-トロント-RuSPORTアトランティックカー(アーロンジャスタス)
- 2004-ロードアメリカ-RuSPORTチャンプカー(ミチェルジョルディンジュニア)
- 2005-エドモントン-RuSPORTチャンプカー(AJアルメンディンガー)
- 2006-エドモントン-RuSPORTチャンプカー(ジャスティンウィルソン)