コンプトン・ホワイト・ジュニア

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コンプトン・ホワイト・ジュニア
Compton I. White Jr.
1963年撮影
アメリカ合衆国下院議員
アイダホ州1区選出
任期
1963年1月3日 – 1967年1月3日
前任者グレーシー・ポスト
後任者ジム・マクルーア
個人情報
生誕Compton Ignatius White Jr.
(1920-12-19) 1920年12月19日
ワシントン州スポケーン
死没1998年10月19日(1998-10-19)(77歳)
アイダホ州サンドポイント
墓地White Family Cemetery
アイダホ州、クラーク・フォーク
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
政党 民主党
配偶者Florence Eulalia Waddell White
子供男5、女1[1]
住居クラーク・フォーク英語版
出身校ジョージワシントン大学転籍
アイダホ大学卒業
専業農業、鉱業

コンプトン・イグネイシャス・ホワイト・シニア(Compton Ignatius White Jr., (1920年12月19日 – 1998年10月19日)は、アメリカ合衆国の政治家。アイダホ州選出のアメリカ合衆国下院議員(アイダホ州1区)として2期の任期を務めた[1]。父のコンプトン・ホワイト・シニアも同州から連邦下院議員である。

経歴[編集]

連邦下院議員を務めたコンプトン・ホワイト・シニアの子として生まれ、アイダホ州クラーク・フォークとワシントンD.Cで育った。ジョージ・ワシントン大学で1年間学んだ後[2]、アイダホ大学へ編入し、1942年に卒業した[3]

第二次世界大戦中は、シアトルのボーイング社でエンジニアとして働き、鉱業、伐採、家畜の飼育にも携わった。戦後はクラーク・フォークに戻り、教育委員会の役員を務め、1958年から1962年までクラーク・フォーク市長を務めた[4]

1960年、ホワイトは連邦上院議員選挙に立候補したが、民主党の予備選挙では5人中3位で落選[5][6]。1962年、共和党のヘンリー・ドワシャーク上院議員が亡くなった。下院1区現職のグレイシー・ポストが上院議員選挙に立候補したため、州1区の議席が空席となった。ホワイトは、民主党の予備選挙と総選挙に勝利し、下院議員に就任した。1966年に共和党の州上院議員ジム・マクルーアに敗れて議員を引退。1968年選挙でもマクルーアと議席を争ったが、再び敗れた。その後、ホワイトはクラーク・フォークに戻り、市議として活躍したほか、再び畜産業を開始した[4]

1998年10月19日に死去。地元クラーク・フォークのホワイト・ファミリー・セメタリーに埋葬された[4]

孫のライアン・M・ホワイトは現在、アイダホ州上院議員ジム・リッシュの立法担当ディレクターを務めている[7]

選挙結果[編集]

連邦下院議員選挙 (アイダホ州第1選挙区): 1962–1968
民主党 票数 得票率 共和党 票数 得票率
1962 コンプトン・ホワイト・ジュニア 51,422 53.0% Erwin H. Schwiebert 45,552 47.0%
1964 コンプトン・ホワイト・ジュニア 56,203 51.7% John Mattmiller 52,468 48.3%
1966 コンプトン・ホワイト・ジュニア 65,446 48.2% ジム・マクルーア 70,410 51.8%
1968 コンプトン・ホワイト・ジュニア 62,002 40.6% ジム・マクルーア 90,870 59.4%

参考文献[編集]

  1. ^ a b “Compton 'Comp' White Jr.”. Spokesman-Review (Spokane, Washington): p. D5. (1998年10月22日). https://news.google.com/newspapers?id=ymJWAAAAIBAJ&pg=6866%2C1304277 
  2. ^ Doyle, Randall Jordan (1996). The life and career of Congressman Compton White, Jr. and the Idaho Democratic Party in the 1960s (Ph.D.). University of Idaho. p. 30. OCLC 43774727
  3. ^ Seniors”. Gem of the Mountains, University of Idaho yearbook. p. 310 (1942年). 2022年1月1日閲覧。
  4. ^ a b c WHITE, Compton Ignatius, Jr.; 1920 – 1998”. Bioguide Search. 2022年1月1日閲覧。
  5. ^ Wakeley, Daniel A. (1960年6月8日). “Northerners differ from Idaho vote in race”. Spokane Daily Chronicle ((Washington)): p. 14. https://news.google.com/newspapers?id=IAFYAAAAIBAJ&pg=6954%2C2164082 
  6. ^ “McLaughlin lead reduced”. Spokane Daily Chronicle ((Washington)): p. 3. (1960年6月11日). https://news.google.com/newspapers?id=IwFYAAAAIBAJ&pg=6914%2C3062437 
  7. ^ http://www.idahostatesman.com/273/story/571750.html

外部リンク[編集]

アメリカ合衆国下院
先代
グレーシー・ポスト
アメリカ合衆国の旗 アイダホ州第1選挙区
選出議員

第7代: 1963年1月3日-1967年1月3日
次代
ジム・マクルーア